『吉野ヶ里歴史公園』より 前回記事、『弥生時代の解明2〜倭人は、どのように縄文人と融合していったか?』で明らかにしたように、縄文人と江南人、そして呉越の民が融合して弥生人となり、弥生クニを形成していきました。
弥生時代は漁猟採取から稲作へ転換、集団統合のために階層化が行われていたと言うのが教科書的には言われてきました。
しかしながら、縄文人と江南人、そして呉越の渡来人は戦争を経ず融合したことと、墳墓に副葬品が登場したことは、一見矛盾しているように思えます。
弥生時代に本当に階層化が行われていたのでしょうか?
また、階層化が存在したとすれば、それはどのようなものだったのでしょうか?再度、縄文人と江南人、そして呉越の民の流入から集団形成について見てみたいと思います。
... 続きはこちら |
|