前回の記事『弥生時代の解明1〜倭人は、なぜ縄文人に受け入れられたのか?』リンクで明らかにしたように、避難して来た倭人たちは少数渡来でした。少数の渡来人が水稲稲作という安定した食料供給を背景に、高い人口増加率(≒寿命の長期化)を保持し、人口増および人口比の逆転をもたらしました。それは縄文系の集団と渡来系の集団とでは人口増加率が違うはずだという中橋孝氏の考え方を踏襲しつつ、国立民族博物館の新年代観を取り入れて試算された図からも、読み取れます。
では、このように年平均50人〜100人という少数で渡来した倭人たちは、どのように日本列島に広がっていったのでしょうか? 稲作の伝播状況から見ていきます!
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