>庶民は「お上捨象」で、支配者は「民の生活第一」という世界でも稀な特異な体質が下にも上にも形成されたのは、日本人の縄文体質(受け入れ体質)の結果である。258302
18世紀、西洋では啓蒙思想家に導かれて、フランス革命に代表されるように、市民革命が興ります。
絶対王朝の圧政から市民が立ちあがった、と美化される事も有りますが、その本質が力をつけた中産階級による更なる権利要求であった事は、その後の歴史経過を見ても疑いようがありません。
では日本はどうだったのでしょうか。
同時期の日本は江戸時代中期であり、老中田沼意次が幕政の指揮を執った、いわゆる田沼時代です。
貨幣経済を促進させ商人からの課税によって傾いた幕府経済を立て直そうという、従来の農本主義から重商主義へ政策を大きく方向転換させた時期でした。
この改革は政争の中で頓挫しますが、元禄期以降商人が力をつけ、この時期には既に西洋同様に中産階級として、為政者の目にも止まるような大きな力を持っていた事を意味しています。
しかし彼らは、西洋の中産階級の様に、富を背景に更なる権利と富の再分配を求めて反乱を起こしたり大衆を煽ったりといった行動に走ることはありませんでした。
太平の世の中で、経済的には大名や幕府を凌ぐ潜在的な力を持ちながらも、革命を起こしてその政権や身分序列を破壊しようとはせず、むしろ政治に関しては徹底的に無関心でした。(日本史において、民間資本家が行政に深く関与するのは、明治維新以降です)
ここにも庶民の、どんなに経済力をつけても、変わらぬ「お上捨象」意識を見て取ることが出来ます。
中世〜近代に於ける西洋と日本の中産階級の意識大きな違いも、
庶民に至るまで私権の要求と分配が最大の関心事であり、為政者に対しても常にそうした鋭敏な視線を向けていた西洋と、
共同体を充足基盤とした、庶民の「お上捨象」・支配者の「民の生活第一」という日本の意識の大きな違いに起因しているのではないかと思います。 |
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