実現論を塗り重ねてゆく
258326 10/30なんでや劇場5 東洋では共同体が残存していたがために教団支配にならなかった
 
冨田彰男 ( 48 兵庫 経営管理 ) 11/11/05 AM00 【印刷用へ
●では、中国・朝鮮・日本で教団支配にならなかったのは何故か?

西洋と東洋の最も根底的な違いは、共同体(共同体質)の残存度の違いである。

すなわち、西洋では皆殺しの略奪闘争によって共同体が完全に破壊され、寄せ集めの略奪集団しか残らなかったのに対して、東洋では支配・服属という形が主流になり、勝者はもちろん服属した氏族も、氏族集団としての本源性を強く残すことになったことにある。

氏族集団(共同体)を統合するには規範共認があれば十分で、観念支配は必要ない(中国の儒教も規範を観念化したものにすぎない)。

ところが、中国では隋や唐の時代から戦乱が相次いだ結果として、人口が1/5に激減した。大量の難民・逃散が発生しただけでなく、労働力確保のために農民が強制移住させられ、その度に共同体性が失われていった。それでも、中国では観念統合⇒教団支配にはならなかった。

その理由の一つとして考えられるのが、共同体の代用物として出来上がった幇(ばん)という結社の存在である。この結社は、西洋の寄せ集め略奪集団が利益目的で集まった単純な利益集団であるのとは異なり、元々の氏族共同体に近い本源的or土着的な側面も持ち合わせている再生的な準共同体であるとも云える。それに、中国では大家族集団のような土着の共同体がかなり残存している。そこでは、西洋の寄せ集め略奪集団の「分け前の平等」といった「民主」観念ではなく、土着的な規範共認によって集団が統合され続けてきた。

しかし、中国と西洋との間のより本質的なな違いは、支配者の出自の違いである。
西洋では(被支配階級だけでなく)支配階級も寄せ集め略奪集団の末裔であるのに対して、中国でも朝鮮でも日本でも支配階級は氏族共同体として存続し続けている。従って、東洋の支配階級は、自分たちの氏族共同体の統合の在り様を社会に適用して統合するので、余計な観念統合は必要としない。

つまり、中国では、戦乱による流民化という要因はあるにせよ、基本的に支配階級も大衆も共同体質が残存しているが故に観念統合の必要も小さく、救い期待も登場しなかった結果、教団支配にならなかったのである。

東洋の例外として、インドで教団支配が成立している。実際、カースト制度における第一身分はバラモン教の神官階級である。これはインドに侵入してきたインドアーリア人が既に観念統合された集団であったからだと考えられる。

インドアーリア人がまともな氏族共同体であったのか、寄せ集めの略奪集団であったのかは、調べる必要があるが、インドアーリア人の部族が成立した時期の中東〜コーカサス・ロシア南部は共同体を破壊された略奪集団だらけであり、その空気の中でインドアーリア人の集団もミトラ教などの観念で以って統合されていたであろう。また、インドに侵入する過程で、至る所で発生した略奪闘争の生き残りを吸収しながら移動したはずであり、彼ら生き残りやはぐれ者を統合するには観念統合が不可欠だったはずである。
このように、観念統合された支配部族が(自らを神の化身として)下々の上に君臨するかたちで土着のドラビダ人を統合していったことが、庶民が共同体質を強く残存させていたにも関わらず、インドで教団支配が成立した理由だろう。
 
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