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緑と人間−A |
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江岸元 ( 21 神奈川 学生 ) |
01/03/31 AM03 【】 |
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緑と人間−A
このような立場に立って主体である人間の行動を含めた生活型と環境の関わりを調査してみると、一般に自然の乏しい所の人ほど自然を求める傾向が強いことがわかってきた。つまり、人間と自然との間には、ある生態的収束があるらしい。さて、そこで与えられた主題に戻って、人間に及ぼす緑の影響についてみてみよう。もしも、人間と自然、主体と環境の間に切り離せない一体化した関係があるとすると、緑の自然が減少した時、人間に及ぼす影響は様々な計り知れないものがあるに違いない。
そこで、色々な環境別にいくつかのサンプルエリヤ地区を選び調査が行われた結果がある。それは、都市化が進んで自然が無くなってくると、人間の側の広い意味の生活型に色々な反応が生じてくる。いくつかの反応を見てみると「窓から見える緑」や「周辺の緑や自然環境」について、このままで良いと答える人の割合は、居住地の人口密度が一平方キロメートル当り2500人を超えると急速に低くなる。人々の認識とほぼ同時か、わずかに遅れて今度は、住民の行動が変化してくる。まず、隣接する自然地への行動が増える。ところが、そこも開発の波に覆われ人口密度が3000人から5000人になると、今度は少し遠出して日帰りのハイキングをしようとする人が増えてくる。さらに自然がなくなると、人口密度が一平方キロメートル当り9200人、緑地率が30パーセントを割るようになると、さらに遠くまで大変な努力を払って出かけるようになる。つまり、泊りがけの旅行が増えてくる。自然が無くなれば無くなるほど、諦めきれずにに自然を求めて遠くまで出かけるようになるらしい。このように、人間の反応という生活型と環境との間に自然がなくなると自然を求めるという現象が普遍的に認められるとしたら、それは両者の間に生態的収束の存在することを示している。では、生態的収束をもたらしたのは何だろう。
このような生態的収束が起こった根本原理を探るため、さらに内的な低レベルの総合変量についてみてみると、人間のやすらぎという反応が草原、疎開林に普遍的に現れるのがわかった。つまり、私達は草原疎開林型自然にやすらぎを感じているということだ。このように反応の色々なレベルで生態的収束が起こっているということは、人間が生きるための何か根本的なものが進化の過程で関与してきたからではないかと考えるのが素直なようだ。
ここから先は想像になるが、私は草原、疎開林にやすらぎを感じ、それが無くなると求める行動が発生するというのは、かって人間の祖先が森から草原へ出てきた時と関係があるのではないかと考えている。森から草原へ進出したヒトがもっとも恐れたのは食肉獣だったに違いない。外敵をいち早く発見しようと立ち上がったのが人間の祖先がヒトに進化するきっかけになったといわれている。もしそうだとすると対外敵戦略とともに人間が自然と結びついたとしても不思議ではないと思う。
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