個人の権利=人権という概念の思想的出発点といわれているのは、ホッブズ(イギリスの政治哲学者1588-1679)の著書『リヴァイアサン』であると言われます。この時代、ヨーロッパ近代の「神が死んだ」世界において、社会や人々の存在をどう根拠付けるかが問題意識の中心であったと考えられます。
ホッブズは、現実を離れた、観念操作による一種の奇矯なる思考実験を通して、そもそも人間の形成する社会、国家というものはどういう構造を持たなければならないのかを、神や古来からの慣習法といったものに一切依拠することなしに説明しようと企図しました。
ここでホッブズは、社会の構成単位として、「個人」という観念を用います。ここでいう個人とは、神もなく歴史も慣習も文化的伝統なく、親も子もない、すなわち現実の生きた人間とはかけ離れたあり方をした存在として定義されています。つまり現実存在とは対応しない、純粋に観念的な概念です。
(現実と対応しない観念上の操作という意味においては、中世キリスト教の思想と基本構造は同じであるといえます。また、人間社会という対象を徹底的に分解して「個人」というアトムに辿り着いたという意味では、デカルトと同世代の思考の産物といえるのでしょう。)
そしてホッブズは、人間は誰でも人を殺しうるということにおいて平等である、これが「個人」が構成する人間世界の究極の本性である、という結論に達しました。
その上で、「各人が、彼自身の自然、すなわち彼自身の生命を維持するために、彼自身の欲するままに彼自身の力を用いる自由」を「自然権」として概念定義し、そうした権利の行使される人間社会のありよう=「自然状態」を、「万人の万人に対する戦争」状態と表現しています。つまり「人間の自然状態」を、中世における牧歌的な良きものとしての意味合いではなく、極めて危険なもの、破壊的なもの、悲惨なものとして考えたわけです。
また同時に、ここで初めて、個人の権利=「自然権」を、それ自体自立的な概念として、つまり何故それがあるのかを問われない、(中世であれば、例えば「神」といった)根拠を全く必要としないものとして抽出しました。
しかし当然ながら、そうした権利が主張されるままであれば,人間社会は成り立ちません。そこで、ホッブズは、社会を構成するためには、そうした「自然権」を放棄する必要があり、その権利を捨て去ることを政治理論の基礎に据えたうえで、公共の福利(コモンウェルス)を第一として国家を建設すべしという国家主権論を主張しました。
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