プロローグでは、 イラン高原を基点とした略奪闘争前夜の中国(中原)を巡る状況を押さえました。
今回は、夏・殷・周の成立までです。
◆略奪闘争が本格化する中での中国の国家統合原理、支配原理
(るいネットよりリンク)
遊牧社会と農耕都市社会との関係は、平時は、対立闘争関係にあるよりも、密接な経済的共存関係にあった。
農耕都市社会は、富の蓄積が進み、文明が発達すればするほど、馬や毛皮、羊毛、毛織物、肉、乳製品、金銀銅錫などの金属器、石材や玉などへの欠乏が高まった。
遊牧社会の方でも、農耕都市社会が生産する穀物や絹織物などの手工業製品や塩などを必要とした。
こうして、遊牧地帯と農耕地帯の境界では、盛んに交易が行われるようになった。
しかし、モンゴル高原からカスピ海までを繋ぐ草原の道は、気候変動の影響を受けやすい地域でもある。そのため、寒冷化・乾燥化が進んで草原の道の生産力が下がると、草原の遊牧民はモンゴル高原から黄河流域に南下し、農耕民を征服・支配するという最も効果的な収奪方法を取ることになる。 こうして黄河流域に誕生した国家が、夏→殷→周であった。 ... 続きはこちら |
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