鈴木さんこんにちは。
>「担がれた棟梁」
の件、興味深く拝読させて頂きました。
考えてみれば、鎌倉だけでなく室町も江戸もそうですよね。
特に、室町幕府においては南北朝争乱の混乱に乗じて「守護大名」
なるものが発生し、将軍は地方のことについてほとんど口を
はさめなかったし、世継ぎも将軍の一存では決められず、管領職に
ついている大名達の同意がないとだめでした。
また、将軍が独裁的に権力を行使しようとすれば、必ず不幸な最期を
遂げてしまいます。
天皇(日本国王)になろうとした「足利義満」や天魔と恐れられた
くじ引き将軍「足利義教」なんかが良い例ですよね。
では、将軍は何もしない方が良かったかといえば
そうでもないみたいです。
例えば「足利義政」は極端に政治権力を嫌い、「能」に代表されるような
芸術に没頭し、さっさと隠居を決めこんでしまいました。
が、しかし彼のこの態度が後に「応仁の乱」を起こすきっかけと
なり足利将軍家を滅ぼすことになってしまうわけです。
鈴木さんの仰るように、将軍家や天皇家などは、
>権力者には「担がれ上手」でないとなれないという歴史
がはっきりと存在すると思われます。
またこのことは
>必然的に権力の二重構造を生む
わけです。日本民族にとってなぜこういった構造がベターとなるのか?
直感的には、「権力」は穢れたものであり、それを行使する実務者が
権威の象徴であってはならないという「道理」が根本に
あるのではないかと思っております。
さらに、具体的に考察を深めていきたいと思います。
|
|