日本を守るのに、右も左もない
249943 お互いに支えあうことを実現する自主的な共同体の再生を@
 
石敢當 ( 29 神戸 ) 11/04/21 AM06 【印刷用へ
日本の素晴らしさを学び、語り、つたえよう。
ねずきちの ひとりごと 「老農と呼ばれた男・・・石川理紀之助」リンクより転載します。
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「老農」という言葉があります。あるいは「農聖」ともいいます。
在来の農法を研究し、自らの体験を加えて高い農業技術を身につけて、農村指導をした人のことをいいます。

そんな「老農」のひとりに、秋田の石川理紀之助(いしかわりきのすけ)翁がいます。明治の人で、生涯を貧農救済に捧げた方です。

石川理紀之助は、弘化2(1845)年、いまの秋田市金足小泉の奈良家の三男として生まれました。

慶応1(1865)年、21歳のときに、秋田郡山田村(現昭和町豊川山田)の石川長十郎に婿養子に入ります。ところが石川家は、旧家だけれど、当時は借金もぐれで、実はとても苦しい生活だったのです。

理紀之助は「このままでは限界がある」と、近隣の農家の若者たちと語り合い、「山田村農業耕作会」を結成します。
「豊かな村づくり」を合言葉に、それまでの個人の営みとしての農業を、農民を広く組織した集団的農業に改革します。
これにより村の農業は大いに発展し、石川家の借金も数年で返してしまう。

山田村にすごいやつがいる、ということになって、秋田県は、理紀之助を秋田県庁の勧業課に招きます。理紀之助、28歳。明治5(1872)年のことです。

こういう試験や学歴、家柄や門閥にこだわらず、必要とあればどんどん民間から人材を登用するというのは、古くからの日本の伝統です。

じつはこの頃、秋田県農業では腐米(くされまい)に頭を痛めていました。
ただでさえ、寒冷地であり稲作が困難なところに加え、せっかく収穫した米が、貯蔵中に腐ってしまう。

理紀之助は、原因を追究し、収穫時の米の乾燥方法にあたらしい方法をあみだして、県の腐米改良指導に尽力します。

さらに、寒冷地に適したおいしいお米の生産の普及のため、明治11(1878)年には「種子交換会」を開催する。これが、秋田で現在でも続いている「種苗交換会」のはじまりです。

しかし理紀之助は、行政の第一線で働けば働くほど、上からの指導には限界があることを痛感するようになります。
「一緒になってやらなければだめだ」
彼は、行政とは別に各地の老農を結集して、自主的な農事研究団体として「暦観農話連」を結成します。明治13(1880)年、理紀之助35歳のときです。

このときの理紀之助の言葉です。

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何よりも得がたいものは信頼だ。
信頼はつつみかくさず教え合うことから生まれる。
進歩とは、厚い信頼でできた巣の中で育つのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「進歩とは、厚い信頼でできた巣の中で育つ」・・・その通りだと思います。
規則や決まり、ルールやマニュアルが人を育て進歩を育くむのではありません。
互いの厚い信頼関係こそが、人を育て進歩を育くむ。

最近はこれを勘違いしている人が多くて、信頼関係がなくても命令すれば、あるいは規則で決めれば人が動くと思っている人が多いけれど、それは違います。


「暦観農話連」は、結成時には、早くも74名もの老農層が参加しています。
会合のときは、理紀之助は、会場近くのお寺や農家に泊まって、自炊しながら催しを支えたそうです。
夜になれば、時のたつのを忘れてみんなと明るく話し込んだ。
そうやって理紀之助は、農業への熱い夢と情熱を、みんなと共有していきます。

「暦観農話連」は、その後も加入者が増え続けます。
明治の末には499名にも達し、員は秋田県にとどまらず、山形、宮城、埼玉県からも集まります。


さらに理紀之助は、明治15(1882)年から、貧困にあえぐ農村を抜本的に救済・賦活させるために、二県八郡四十九カ町村を踏査して「適産調(てきさんしらべ)」を開始します。

この調査は六年間にわたり、各地の土壌、面積、人口、戸数、生産物、自作農地と小作農地の収入、農作業、生活習慣に至るまで総合的に調査し、調査結果をその地の農村再建策として、731冊の著書にまとめました。

理紀之助は、この調査行に際して、つねに顔を覆う白布と、葬儀料、死亡届のための戸籍謄本を身につけていたそうです。
壮絶なまでの覚悟が窺われます。
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続く
 
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251310 互いの厚い信頼関係こそが、人を育て進歩を育くむ>実感しています 匿名希望 11/05/13 AM02
249944 お互いに支えあうことを実現する自主的な共同体の再生をA 石敢當 11/04/21 AM06

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