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大量渡来か少数渡来か(2) |
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岡本誠 ( 47 兵庫 経営管理 ) |
02/02/22 PM10 【】 |
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九州大学中橋孝博教授は、水稲耕作が最初に持ち込まれた北部九州の人口シミュレーションから、少数渡来でも人口逆転が起きることを実証されています。北部九州では、2500年ないし2400年前、日本で最初に水稲がもたらされて以降、わずか200〜300年後の弥生中期には渡来系住民が80%にまで達します。それまでまばらでしかなかった遺跡の数が急に増え始め、沿岸平野部さらには河川の上流部や内陸の丘陵部をも切り開いて進出していきます。尚、この時期(弥生中期)渡来系対縄文系の戦いではなく、渡来系住民の間で戦いの痕跡が急増します。そして、2300年前には北部九州から東へ拡散を始めます。
人口シミュレーションの結果は以下のようです。縄文系住人と渡来系住人が住み分けて、お互い遺伝的な交流はなかったとする最も単純なモデルにおいて、縄文系住人の人口増加率を0.1%とした場合、渡来系の人々が最初に10%の比率で来た(つまり縄文系100人の住むところに10人の渡来人が来た)場合は年率1.3%で、また最初0.1%の比率で来た場合は年率2.9%で人口増加すれば、300年後に80%の比率に達します。
縄文系住人の人口増加率0.1%は、狩猟・採集民としては高目の設定で、実態はマイナスになることも珍しくない(縄文晩期はマイナスであった)。渡来系の1.3%ないし2.9%という増加率も、初期農耕民としては特に不自然なほど高い数値というわけではない(農耕社会への移行期は急激な人口増加が起きることが世界各地で報告されている)。初期に一度だけの渡来としているが、実際は何波にもわたった渡来があり、さらに鈴木隆雄氏が指摘するような渡来人が新たに持ち込んだ疫病によるダメージ等の可能性も考慮すると、1%以下の増加率でも十分人口比の逆転現象は起きたのではなかろうか。
遺跡からは縄文系と弥生系の土器の両方が出土する事実から、混血集落でもシミュレーションすると、最初10%の比率で来た場合の渡来系の増加率は2%で、300年後80%になります。尚、男性は全て渡来系で、女性は混合とした場合、女性の中に含まれる縄文系の割合が85%という高率でも問題ないという結果になり、この男性主体の渡来モデルはより実態に即している可能性があります。
いずれにしろ少数の渡来人でも高い人口増加率によって、短期間で地域住民の多数を占めるに至ることは可能であり、遺伝子構成および考古学的事実双方を整合させうる有力な解釈と考えられます。
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