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大量渡来か少数渡来か(1) |
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岡本誠 ( 47 兵庫 経営管理 ) |
02/02/22 PM10 【】 |
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>弥生時代の人口の変動を見ていくと、縄文晩期の75000人に対し約600000人という8倍強の人口増がもたらされます。当然温暖化に伴う自然増という要素もありますが、大半は渡来人による移民という説が濃厚です。(田野さん24400)
>しかし、弥生人の渡来は縄文人を駆逐するまでには至りません。(永田さん24414)
大量渡来か少数渡来かは、弥生さらにはその後の日本の行方を考える上で、極めて重要な問題です。
現代日本人の遺伝子構成は、弥生時代の始まりを契機に流入した遺伝子がほぼ65%を占めていることから、この時期の渡来人の影響が大きいことは確かです。しかし一方で、縄文の文化は後世に継承されている、つまり縄文人を駆逐するまでには至らなかったとも言えます。例えば、渡来人によって営まれた水田をもつ環濠集落においても、水田稲作用の新しい農具や工具が持ち込まれている一方で、土器などその他多くの道具は縄文時代と基本的に変わらないのが実状で、何よりも縄文の婚姻制は戦後に至るまで継承されています。
このことから、渡来人が大挙して押し寄せた結果人口増がもたらされたのではなく、少数の渡来人が水稲耕作という安定した食糧供給を背景に、高い人口増加率(≒寿命の長期化)を保持し、人口増および人口比の逆転をもたらした、とする方が妥当性が高いと思われます。多く見積もっても数百年で数千人、1年に均すとせいぜい数十人程度がパラパラとやってきたに過ぎない、という見解さえ出されています。
九州大学中橋孝博教授の研究によると、縄文系の平均寿命はわずか14歳、これに対して渡来系は25歳。現代人との落差は専ら乳幼児の死亡率が非常に高いためである。乳幼児期の危機を乗り切った15歳の女性の平均余命は、縄文系が16年であるに対して、渡来系は30年を超えている。つまり出産可能期間が16年から30年へと倍増しており、渡来系の人々の方が子だくさんだった可能性が高い。水田稲作という安定した生産基盤がもつ高い人口支持力、良好な栄養状態に支えられた長い寿命と多産。渡来系の人々は縄文系の人々に比べてはるかに増殖力の高い人たちだった。
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