実現論を塗り重ねてゆく
245503 日本人が残虐だから大規模虐殺に至ったのではない 〜「数学者の新戦争論」より〜
 
竹村誠一 ( 40代♂ 長野 営業 ) 11/02/11 PM02 【印刷用へ
2/6なんでや劇場の追求で「戦争の起源」がより鮮明になってきました(245345)が、戦時における虐殺の構造を数学者・渡部由輝氏がメールマガジン・まぐまぐ『軍事情報(リンク)別冊「数学者の新戦争論(3)〜非線形爆発のはては“大規模虐殺”〜」 』の中で展開しています。

一般的に戦争や虐殺を巡る追求は、感情的な忌避意識や価値対立からなかなか深まらない傾向にありますが、現象事実を丹念におさえ、構造的に理解していけば必ずみんなが共認できる地平に到達できる。そんな事実追求の一例として、以下その後半部分を引用・紹介します。

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▽非線形爆発のはてに

 同じように十数万の日本軍が攻め入ったのに、一方(南京とシンガポール)では大規模虐殺的事件が発生し、他方(インドネシア)では発生しなかった。なぜそのような違いになったのか。

 もちろんその答えは単純ではない。南京・シンガポールには軍事的に政治的に強力な抵抗勢力が存在し、インドネシアにはそのようなものはなかった、といった理由をあげるのが一般的なようである。ただ、私はそれを数学的観点からも探ってみたい。

 さきに私はこうのべた。われわれの関係する世界は、数学的にみれば線形的空間と非線形的空間の二つに分けられると。さらに〈戦争〉という事象を基準にしてみるなら、前者は〈平時〉に、後者は〈戦時〉に対応するとしてもそれほどの不都合はないとも。

 その非線形的空間(戦時的世界)の事象は、そういった事態が進展するにつれて、次のように二つの事項に拡散、もしくは収斂することが知られている。

(一) 非線形爆発・・・そういった事態が進展すると、その事象全体はある段階で爆発的に拡散する。
(二) 非線形凝集・・・そういった事態が進展すると、その事象全体はある段階で凝集的に収斂する。

 ようするに南京・シンガポールは、(一)の非線形爆発のケースではなかったかと言いたいのである。そのカギは〈追撃戦〉にある。南京でもシンガポールでも、日本軍は逃げる敵軍を追って二か月あまり追撃戦をした。その追撃戦が前記非線形爆発の項における、そういった事態(戦時的事態)のさらなる進展に相当し、その帰結として爆発的拡散(虐殺)にも至ったのではないかということである。実際、シンガポール作戦に参加したある兵士はこう語っている。

 「(追撃戦が次第に重なると)理性も常識も失われ、しまいにはどんな残虐なことで
 も平気に行なえるようになった」

 一方、インドネシアではその追撃戦はなかった。緒戦の上陸作戦の段階で蘭印軍は完全に降伏し、残兵が内陸に逃げ込んで抵抗するようなことはなかった。つまり、戦時的事態の(さらなる進展)がなかったため、爆発的拡散(虐殺)も発生しなかったのではないのか。

 ただし、以上のような線形・非線形にかんする数学理論とは、まだ完成されているものではない。その〈ある段階になれば爆発的に拡散する〉にかんしても、具体的にどのような段階をいうのか、またその爆発の規模がどのていどになるのかなど、まだまだ未解決的事項の多い理論である。その意味では理論というよりはまだ構想の段階にすぎない、といえるのかもしれない。

 がともかく、戦時において大規模虐殺的事件が発生する理由については、これまでにみてきたように〈追撃戦〉にもあるのではないかと、私には思われる。

▽日本人が残虐だから大規模虐殺に至ったのではない。

 以上のような“理論”が成り立つことを証明するといえそうな事例が、かつてのわが国においてあった。源平時代のときである。

 周知のように木曽義仲は都に攻め入り、乱暴狼藉の限りを尽くした。同じ日本人であったから乱暴狼藉ていどですんだが、異民族が相手なら大規模虐殺にも至っていたはずである。

 それは追撃戦のはての行為であった。義仲軍はその年の五月から六月にかけて平家方の義仲追討軍を、まず倶利伽羅峠の夜襲で破った。さらに逃げる平家軍を追って計五度の戦いのことごとくに勝利をおさめ、そのままの勢いで都に攻め上ったはての蛮行であった。

 一方、同じく平家方の追討軍を富士川で破った頼朝軍は追撃戦をせず、その段階でいったん兵をおさめ、根拠地の鎌倉に引き返した。範頼・義経兄弟率いる頼朝軍が義仲追討のため都に攻め上ったのは、その四年後のことである。その戦いは緒戦の勢田・宇治川戦で決着がつき(義仲はそこで敗死した)、追撃戦が行なわれることはなかった。おそらくはそのためでもあったものと思われる。都に入った義経軍には狼藉的行為はほとんど発生しなかったと、伝えられる。

 同じく東国の兵士、源氏軍団でありながら、一方では蛮行が発生し、他方ではなかったことでもわかるように、以上線形、非線形にかんする数学理論は、人種・民族のいかんにかかわらず、すべての人間に適用されるものである。そもそも数学理論とは、人間存在全体を対象とするものであるから。人種・民族を問わず、同じような条件下(追撃戦のあるなし)にあれば、同じような事態にも至りうるのである。日本人が特に残虐性を有する人種だから大規模虐殺をした、というわけではないということである。

 実際、そうである。近代ヨーロッパにおいて、どれだけ多くそのような事件が発生したか。ナポレオンはイベリア半島において逃げるスペイン軍を追って、行く先々の町や村で虐殺的事件をひき起こした。捕虜や一般民衆合わせて百万を下らない虐殺を行なったといわれる。普仏戦争(一八七〇)でも、一八世紀から十九世紀にかけてのロシアによるポーランド侵攻でも、同様であった。

 古い時代はそれはもっと極端であり、大規模的でもあった。ローマは戦いに敗れて自国に逃げ込んだカルタゴ軍を追撃し、そのはてにカルタゴ一国を攻め滅ぼした。戦闘員だけでなく一般民衆をも壮年者は奴隷として自国に連行し、残りは殺戮し尽くした。秦の始皇帝も同様、やはりそのようにして追撃戦のはてに、趙の国の老若男女ことごとくを生き埋めにしたと伝えられる。
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