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2/6なんでや劇場(1) 1万年前以前の極寒期には南欧以北の欧州は無人だった |
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冨田彰男 ( 47 兵庫 経営管理 ) |
11/02/08 PM01 【】 |
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【資料】
@「■コーカソイドの部族移動」図解リンク
A「■Y染色体亜型の世界的分布」地図リンク
地中海沿岸、ギリシア・ローマ、エジプト・シリアといった周辺には、8〜6万年前には黒人が進出していたと考えられる。
5〜6万年前から2万年前までは最終氷期。但し、最終氷期の間には、4万年前等比較的温暖な時期もあり、欧州ではクロマニヨン人(新人)の生存が確認されている。ネアンデルタール人(旧人)の生存も確認されているが、3万年前には絶滅。
最終氷期終了後も、1.3〜1.15万年前にはヤンガー・ドリアス期(最後の極寒期)がやってくる。この極寒期(−8℃)には旧欧州人は南下したため、1.1万年前の時点では南欧以北の欧州は無人化した。但し、南欧、例えばスペインのバスク地方にはそのまま住み続けており、現在のバスク人(白人で長身)はクロマニヨン人直系の子孫と考えられている。
1万年前からの温暖期にステップの北上に応じて、一旦南下した欧州人が東欧・北欧に北上した。当時は、西欧や北欧はステップ地帯だったが、アナトリアやコーカサス、メソポタミアは森林地帯で、その一部を開墾して農耕が開始。イラン高原もステップ地帯で牧畜や遊牧が営まれていた。
1.3〜1.15万年前の極寒期の欧州は、本当に無人だったのか?
極寒期の人類遺跡があるかが最終的な決め手であり、今後も調べて証明する必要があるが、比較的温暖期の遺跡が見つかったからと言って、そこに人類が住み続けていたとするのは大間違いである。例えば、バイカル湖周辺で比較的温暖だった4万年前の遺跡があったことをもって、NHKや学者たちはあたかもそこにブリヤート人が住み続けたかのような報道をしているが、文献調査の際には彼らのアホさ加減を頭に入れて調査する必要がある。
まず、極寒期の人類に同化する必要がある。
まず減ってゆく食糧を確保するには、弓矢をはじめとする武器が必要であり、寒さに耐えるためには防寒が十分な衣服が完成している必要がある。3万年前には防寒具も弓矢も発明されておらず、洞窟で暮らしていたのが当時の人類である。そんな人類が極寒期に北方で生存できるはずがない。
そういう部族にとって、洞窟を出て移動することは生存確率1割以下の危険な賭けである。まして、寒冷期に食糧がなくなってゆき、追い詰められた上での移動は、生存確率1〜2%の「決死行」となる。実際、ネアンデルタール人は手遅れで絶滅した可能性が高い。
NHKの番組によれば、シベリアのマリタ人は移動テントで暮らしていたとのことだが、移動テントであれば寒くなれば簡単に移動するのであって、寒い場所に居続けたなどということは有り得ないだろう。
学者やTVのアホさ加減を示す例をもう一つ挙げる。
学者やマスコミはシベリアの人類を「マンモスハンター」などと称して、出土した骨の数からこれだけの頭数を狩っていたなどと発表しているが、この時代の人類がマンモスを狩れるはずがない。出土した骨の数からみても当時の主要な食料はトナカイである。マンモスの骨が出土するのは、当時の主要食糧が動物の死骸の骨髄であり、マンモスの死骸の骨を持ってきただけにすぎない。 |
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