次に弥生時代の人口の変動を見ていくと、縄文晩期の75000人に対し約600000人という8倍強の人口増がもたらされます。当然温暖化に伴う自然増という要素もありますが、大半は渡来人による移民という説が濃厚です。
分布も東北は33000人と縄文晩期と殆んど変わらないに対して、九州〜近畿にかけては約30万が住んでおり、その地域では縄文晩期の30倍に上ります。
人口増は奈良時代にかけてさらに加速し、500年で10倍の540万人に上ります。
この急激な人口増のメカニズムは未だ解明されていませんが、この間に集団の統合課題は飛躍的に高まり、めまぐるしい社会構造の変化をもたらします。
まずミクロの集団を構成する基本単位の変化を追っていきます。
〜以下日本考古学概論より抜粋
前期)村落は単一の家族集団からなり、基礎単位は村落全体となる。
前期末〜中期)村落は複数の地域集団からなり、基礎単位は自律性をもった家族集団となる。
後期前半)村落は複数の家族集団からなるが、その細分化がすすむ。しかし、他律化形骸化されているものの家族集団が依然として基礎単位となる。
後期後半)村落は個々の住居の群集からなり、家族集団は姿を消す。したがって基礎単位は個々の住居単位の住人となる。
〜以上抜粋
著者は弥生時代における基礎単位の変遷は生活(労働)の編成が成員の側の主体的共同体的な資質から権力による政治統括的な抑圧へと変遷していったと分析している。
集団が氏族を母体とした連合集団の色彩から権力者の元、個々に従属する住居型集団に変化していったことを表していると受け取れる。
弥生時代が階級の出現とそれに伴い共同体が権力者の意図的な計らいで解体していった最初の時代と捉える事ができるのかもしれない。
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