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弥生時代前夜の社会状況 |
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( 40 東京 監理 ) |
02/02/19 PM11 【】 |
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ご存じの方から弥生の成立について――渡来人の出自、稲作の伝播、人口や集落の変化、祭祀用具の変化、生産用具や武器など――投稿されては如何でしょうか。
賛成です。縄文時代を約半年近くやってきましたが、確かに弥生から振り返って考えるという方法論に気付きませんでした。弥生は渡来人が来て稲作が定着しそれまでの縄文文化を根底から変えてしまった、だから歴史書の中の弥生時代の論及には目もくれなかったというのが私の反省です。
岡本さんが言うように視点を変えてみましょう。
まず弥生時代突入前夜の社会状況から紹介してみます。
弥生時代は紀元前300年(一説には800年)から始まり紀元後300年までの約600年間を指します。
前期、中期、後期と200年毎に大きく分類されます。弥生時代の後には大和朝廷を控えた統一時代を迎えるのですが弥生はその間の小国家群立の時代として大きく特徴付けられます。
弥生を見ていく上でやはり最大のポイントは渡来人を生んだ大陸との関係でしょう。
弥生時代前半の中国、朝鮮の動きを見ていきたい。稲作文化が定着した中国では農業集落が定着しており、紀元前1000年頃の匈奴の侵略を契機とした掠奪闘争を皮切りに春秋戦国時代に突入した中国が、紀元前221年に全国を武力で統一し初めて奏による中央集権国家の成立を見ました。と同時に中央の勢力は前漢の時代に強大になり、紀元前100年には朝鮮半島を征圧する軍事的な動きをとります。
一方、縄文後期、寒冷化に伴う海退は採集と漁労を並存させることで生活を成り立たせていた縄文人に壊滅的な打撃を与えました。
日本列島は人口をピーク時の1/4にまで減少させ、東北地方を除いては殆んど人が生存できない状況でした。縄文時代後期の人口は東北地方が40000人に対してそれ以外の地方で35000人しかいなかったのです。
弥生に入る直前から再び温暖化が進み、降雨や植生の変化によって海退に伴い出現した平野部に生存の可能性が開けたのです。
縄文時代を通して何度か上陸してきた渡来人も森の文化に吸収され、縄文人の生活を変えるまで至らなかったのが、中国の圧制を背景に逃れ着いた朝鮮人たちの北九州への大量渡来を機に稲作文化をもたらすことによって定着を果たすのです。
気候的背景、縄文文化の衰弱、大陸を発端とする人の動きの活性が相まって弥生時代は到来したのでしょう。
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