● 南方(スンダランド・インド)で形成されたモンゴロイドの基層的形質
Y染色体分析によると、原モンゴロイドの登場は5.5万年前のインドとされる。インドのドラヴィタ人はその末裔である。また5〜4.5万年前には原モンゴロイドはアジアの南方(オーストラリア、スンダランド、中国南方)へと広がっていく。各々をオーストラロイド、スンダ・モンゴロイド、シナ・モンゴロイドと呼ぶことにする。
ここでモンゴロイドY染色体の分化を整理しておくと、
C型 F型
│ │
├──┐ K型
│ │ │
C型 D型 O型
となる。このように多様に枝分かれしたが、旧人とも交配したという最新事実から考えて、基本的に枝分かれした各スンダランド人同士も、温暖湿潤で豊かな環境条件に恵まれていることもあって、共存共栄関係にあったと考えられるだろう。
●4.6万年前頃、寒冷化に伴って、インドのインダス河流域にいた原モンゴロイドが北方のパミール高原・タリム盆地へと進出する。これはこの地域がヒマラヤ山脈の影響を受けて、寒冷化すると南方が乾燥化し、北方のパミール高原の方が湿潤化するためである。こうして北方へ進出したモンゴロイドは4万年前の温暖期には動物を追ってバルハシ湖からバイカル湖へと進出した。彼らを北方モンゴロイド(C型)と呼ぶこととする。
しかし、3.3〜2.7万年前の寒冷期には、バルハシ湖からバイカル湖は極寒故に無人化し、人々は大きく二方向に分かれて南下した。主勢力はパミール高原・タリム盆地へと戻り、そこで中央アジア・モンゴロイドと呼ぶべき形質を獲得したと考えられる。もう1派は、更に東へと進路をとって、日本やアメリカ大陸へ進出したと考えられる。(ただし、寒冷期に何故、北上してアメリカへと渡ったのか?は論理的に疑問が残るため、4万年前の温暖期にアメリカへと進出した可能性も否定できない。この点は継続追求課題とする。)
この後、中央アジア・モンゴロイドは温暖期にはバイカル湖へと進出し、寒冷期にはパミール高原へと後退するという「行ったり・来たり」を繰り返しながら、北方適応を進めていった。
しかし、原モンゴロイドのCの形質を強く残している北方モンゴロイドは、多様な交配が進む地域では後発のD,Oの方が免疫力が強いため、基本的に絶滅していった。他集団との交配の少なかった、アメリカ大陸とインドの原住民にかろうじて生き残っているという状態である。 |
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