●5300〜4000年前 シュメール
奴隷の起源は異種族の捕虜であったと考えられている。シュメール語で男奴隷「ir」は山の男、女奴隷「gim」は山の女のことであり、低地のシュメールに対し山地の異種族をさしていた。
奴隷の数は、同時代の他地域と比べ多くはなかったようである。例えば都市国家ラガシュでは、初期は被征服民をしばしば皆殺しにしていたため、奴隷化はあまり進まなかった。
その後、中期(前2800年頃)に入り、ウンマを始めとする多くの都市を征服した際には、被征服王もろとも支配して貢納関係を作り上げた。(「エンメテナ円錐型A号記録」)このころになると奴隷が多く文書に現れるようになる。このような集団的支配・所有形態はルガルザゲシやサルゴンの時代に発展した。皆殺しから隷属化への経緯は、無論より多く地を支配し始めたことによるだろう。
国有奴隷制度とは主に戦争捕虜で、征服した王の財産であった。奴隷達は軍隊に入るというよりは、王宮内の卑賤な仕事や工事・開発などに使役された。
農業奴隷制と工業奴隷制は、ギリシャ・ローマに比べはるかに小規模であった。農業に関しては、小規模農家は家族構成員の多さから奴隷を必要とせず、一部の裕福な貴族は雇用労働(自由民の借地農)と奴隷労働を使っていた。
裕福な貴族が購入する奴隷の値段もきわめて高価であったため、シュメールからバビロニア第一王朝時代までの奴隷の少なさはたいして変化しなかった。
シュメール時代は、周辺からの侵略圧力も高いこともあり(=不安定)、男は反乱を起こすリスクも高いため奴隷として使われることは少なかった。(女奴隷の割合が多い) |
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