大分以前の大串さんへのレスになります(ずっと気になっていた内容で最近の論点にも役立てばと思います)。
22839番
>これは仏教で自己を構成する5つの要素と呼ばれているものと似ていますね。たしか形象、感覚、認知、意志、意識、だったかな。仏教には恐ろしく深い心理学が組み込まれているので、ご存知の方がいらっしゃればご教示願いたいです。
私も純粋な仏教理論は古代科学といっても良いのではないかと感じています。量子力学の最先端の研究者が、たしか法華経を読んで「最先端の研究の答えが2千年以上前に書かれている」と愕然とした話しも聞いたことがあります。
■仏教の対象認識 【受想行織】
<人間が対外的な対象を自分自身で受け入れるプロセス>
|【受】=対象を感覚で受けとめる
| ↓
|【想】=対象を頭の中で組み立てて想像する
心 ↓
|【行】=想像したことに基づいて行動を起こす
| ↓
|【織】=その結果、対象を明確に認識する
|
身
【色】
体
|
「受想行織」の1サイクルがすなわち心(精神)という解釈です。そして、これに「身体=色」を加え、人間とはすなわち「五蘊(ごうん)=色受想行織」であると定義しています。
おもしろいのは、対象認識のプロセスに【行】が入っていることで、行動を起こさないことには対象を認識できないい、という指摘です。これは、考えてみれば「探りを入れてリアクションをサウンドする」などの表現に代表されるようにビジネスの現場などでは当たり前に使われている認識とも言えます。
対象と自己を行動でつなぐこと(働きかける)、確かにそれなしでは傍観者的、表面をなめるだけの認識に留まってしまいます。社会学でも「社会」をその外から観察するという自然科学的手法にこだわった時代もありましたが、その自然科学でさえ対象に全くの影響を与えずに「観察」することはできないことに気付いています(ミクロの世界では顕微鏡で対象を「見る」行為が既にエネルギーであり、確実に対象に作用する。これは【行】→【織】にあたるのではないかと思います)。
そして正確に対象認識するためには、より多くの感覚情報を収集した方がよい(見る・嗅ぐ・触る・味わう)。つまり、より深い全的な働きかけが必要と言うことです。そして、【想】の段階ではできるだけ感覚情報を素直に組み立てる事(固定観念にとらわれない)。等々、まだまだいろんな視点はありそうです。
そして、現在のるいネットにおける発信なども「社会」(というより集団や人間そのもの)を認識するには不可欠のプロセスではないかと感じています。何らかのアクションを起こし、その反応(リアクション)をサウンドする。様々な情報(プラス・マイナスと見える情報。しかし、これも解釈にすぎないですが)がサウンドされてくることこそ重要で、それなしには対象は認識し得ないし、認識できなければ変えようがない。
反応によってこちらの意識も当然変わるということは反応をサウンドし続け、それに対して発信し続けることのプロセスそのものが社会を変化させているのではないかと思います。あるいは、発信だけでなく「読む」という参加行為も何らかの影響を与えていると考えられます。
どんどん行動を起こし、走りながら(体験しながら)考えるというのは有効かなと感じています。次回、同じく「人間の意識構造」についても紹介したいと思います。
<「経営を活かす曼陀羅の智慧」松村寧雄著 ソーテック社 S59年 参照>
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