>社会期待としてとらえ返せば、日本人・東洋人・イスラム人は共同体体質を色濃く残存⇒安定期待⇒秩序収束⇒規範共認に収束して安定を求めるという構造である。
それに対して、救い期待に応えて一神教が登場したのは西洋特有の構造である。また、仏教も救い欠乏を土台にしており、それがインドにおいて仏教が根付かなかった理由であろう。(239606)
我々の世代は、戦後アメリカから強制的に注入された個人主義教育やアメリカ流の価値観にみごとに染め上げられてきたという事を実感することがよくある。
例えば、就活時期を迎える学生が就活サークルを立ち上げて、みんなで就活をやり遂げようとしていることなどはその好例だと思う。
我々の世代であれば、就活とは互いに競争相手になるものだから、評価の高い会社には抜け駆けしてでも自分が就職口をゲットしようとしていた。
あるいは、今の子たちは受験勉強も仲間と一緒に勉強して、みんなで合格することがやる気になれることらしい。
おもしろいと思うのは、明治維新後に取り込まれた近代思想や西欧流の価値観に一時期国民の大多数が染め上げられ、敗戦を経験しながらも西欧先進国と互するところまで一気に到達したが、たかだか100年程度の期間を経て、見事にあっさりとそれらを捨て去ろうとしているように見えることだ。
その基盤にあるのは、日本人の民族性と言ってもよいと思うのだが、共同体体質と言えるものだと思う。頭の先っぽに植え付けられた浅薄な観念よりも、歴史の中で培われた民族的な共認基盤の根強さを実感する。
そして、それをごくあたりまえのように実践してゆく若者たちに、次代を創ってゆく可能性を感じる。 |
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