イスラム(イスラム原理主義の考え方)には王がいないというのは、概ねその通りである。しかし正確には神官(階級)も認めていないのが正確なところらしい。
多くの方がイスラム教の登場の背景で指摘しているように、イスラム教は
>遊牧部族の共同体集団がいくつも並存していた。武力支配国家はまだ登場していない。そこに急激な市場拡大の波が押し寄せる。(中略)市場の拡大は私権意識を増大させ、貧富の格差を拡大させる。かつ、自我を封鎖する力の序列原理⇒武力支配国家も存在していない。アラブの遊牧集団の部族間闘争が激化するのは必然である。
>「この混乱をどうする?」これがイスラム教が登場した当時の、アラブにおける社会統合機運の中身ではないだろうか。
そのためにムハンマドはまず、ウンマという部族を超えた共同体(教団)を形成した。(中略)そして、この共同体ウンマに各部族を服属させていった。これがアラビア半島の諸部族を統合してゆく。これがイスラム国家の原初形態である。「日本を守るのに右も左もない」
(リンク)
以上のように、イスラム教は優れて政治的(統治的)問題意識から登場している。従ってイスラムには(キリスト教や仏教に見られる)聖と俗という考え方は存在しない。あくまでも「政教一致」が基本である。
イスラム教を生んだマホメットはカリフと呼ばれるが、それは宗教的指導者を意味するのではなく、政治や社会生活も含めた社会的指導者であり、その後継者たちもその政治的指導者の地位は引き継いだが、預言者の資格は引き継いでおらず、宗教的権威はない。その後君主(スルタン)も登場するが、殆どの君主がカリフの称号も名乗っている。(これは、スルタン=カリフ制と呼ばれ20世紀までこの制度が多くの国家で維持されていた)
イスラム世界は、聖職者という階級を認めておらず、従って、免税などの宗教的特権はなく、兼業や妻帯も許されている。
つまりイスラム世界は宗教共同体であり、生活共同体である「ウンマ」全体の指導者であって宗教のみならず、政治や生活規範の指導者という考え方なのである。
(この点が例えばローマ法王等の他宗教の宗教指導者とは大いに異なるところである。しいて言えば王=神官という部族連合時代の形態そのものともいえるが、自らの権限の根拠を神から与えられているとしているわけではないことから見ても、イスラム世界は、より原始共同体に近い精神性があるともいえるのではないか?)
以上参考;
(リンク 「キリスト教とイスラム教」) |
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