■ 自分ひとりでは何も出来ない子が増えている
>仲間と一緒なら生き生きと共通課題をこなしていくのに、ひとりになるとボーとするだけで、何から手をつけていいのか課題を見つけることが出来ない。
直感ですが、「仲間とイキイキ」と「一人でボー」の落差が激しすぎる気がします。これって本当に「母親」のせいだけなんでしょうか。その差を規定しているものが、もっとあるような気がする。
「ひとりでは何もできない=課題をみつけられない=外圧を感じない」→ボー
「仲間と一緒なら共通課題をこなす=その場の圧力や充足を感じる」→イキイキ
とすると、何が問題なんだろう。大人(先生・学校・社会)不信?それはあるでしょう。でも、もっと何か根元的なものがある気がします。
今考えてるのは、3通りの解釈です。
1:課題捨象回路の発達
前回述べたように「親の期待(エゴ)と、仲間収束とのジレンマ」が彼らの現実としてあるとします。ジレンマは不全そのものですよね。不全は普通(猿以降の様式で)解脱充足で捨象します。でも解脱充足=仲間収束しきれないからこそ起こるジレンマに、子ども達は別の方法で対応しなければなりません。
そこで、充足を介さない課題捨象という方法を採る。つまり、不全を生み出す様々な外圧を、プラス系の脳内物質の分泌なしに捨象していく(従って、高揚感も充足もない)。これによって、絶対的な仲間外圧や、充足を生み出す仲間課題には、ある程度反応しても、その他の課題に反応しなくなる(不信を超えて無視の域)。このような捨象癖のついた子は無表情・無感動になっていきます。
2:個人課題に一切反応しなくなる
子どもは結構敏感ですよね。ズレや大人の欺瞞には結構厳しいツッコミをいれてくれますし、何より自分の下部意識に正直です。そこで、大人達が「個人課題」だと思っている(またはそう教えている)課題に反応しなくなった。つまり、周りが「お前のためだよ」と言って押しつける課題全般に欺瞞性を感じて、意図的に反応しなくなった。
これが二つ目の説です。
外圧の低下と、それによる下部意識の流動にあわせて、もはや一切の私権課題に反応しなくなってきているのではないか?
ただこれは、先に言ってた「親の先回り」がその流れ(課題に反応しなくても生きていける状態)を作り出している可能性が大です。
3:観念に侵されて、実行力が伴わない
子どもは観念に侵されていない・・と前に投稿しておいて何ですが、もしかしたら、下手な観念には侵されていないですが、観念(言語)機能が共認機能未発達のまま、形成されてしまったという可能性があります。
すなわち、行間が読めない、場の雰囲気が読めない、言葉に頼りすぎて、対象を直視できない。つまり、「勉強しなきゃ」って思っても、「勉強」の何をしていいかわからない。「受験」するってわかってても、受験に必要な中身が伴わない。
でも言語としては獲得しているので、わかった気になっている。でも、実行できない。
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さて、いろいろ出して見ましたが、現場で働いている方、どれが一番近いと思いますか?(もしくは別案求む)
あと、
>自分だけが目立つことを避ける場合も多く、
これは、また違う話だと思うので、またの機会に・・。
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