これから社会に出ようとしている若者達、あるいはつい最近社会に出たばかりの若手達。
彼らの頭の中には、学校で学ぶような無味乾燥な歴史事実は殆ど定着していない。
教育上の問題は一旦棚上げした上で、彼らの状況認識に同化してみると、恐らくは既に認識の必要性が現在から未来へ向けての必要性を軸にした探索へとシフトしているのだろう、と感じられる。
戦後日本の貧困時代や、その後の高度経済成長、バブルとその崩壊等、1970年を軸としたこの時代の大転換期において、最早旧時代の思想や仕組みは、現代の若者達が感じる必要な認識には該当しない。
むしろ、未だ経済政策がどうのとか、福祉やら消費税云々ばかりを喧伝する政治・マスコミにも当然興味は無く、彼らの目線は『これからの社会をどうする?』という一点に注がれているように想われる。
今から凡そ40年程前、時代の転換を予測して描かれた「自主管理への招待」にも、この事がしっかりと予測されていた。
<私たちの認識にとって重要なのは、あってもなくても良いような「思想」ではなく、人間と社会の基底的な現実を形成している生産様式の認識であり、あるいは、社会への一方通行で空まわりの「自己主張」ではなく、人々の根底的な欲求が交わり合う生産関係の認識である。211322
生産様式の認識とは、現在の就活生達の持つ意識潮流に他ならない。
彼らが企業を選ぶ際の選択肢に、それらが最も良く表れている。
・仕事が楽しいと思えそうな会社
・商品(物)の生産ではなく、人の意識に直接関われそうな仕事に関わりたい
・大企業に埋もれて言われたことだけやるような会社ではなく、一緒に考えて活動していけるような所
・大切な事は経済成長以外の部分にあるような気がする
・ちゃんと、社会や人々の役に立てる仕事がしたい etc.
現在の混迷する政治や経済の前に、このような期待にしっかりと応えていける土壌=生産の場を構築して行きたいと思う。
それが、自分達の生きる場を創る行為であり、自分達の生きる社会を構築する、現実に立脚した理論の土台となる。 |
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