「5.徳川300年を支えた流通構造」より
リンク
以下、引用
2.経済力削減政策
大名が軍事的に屈服したとしても十分な経済力を有する場合は中央勢力に対し独立が可能になります。軍事力により優位を築いたとしても、室町幕府や豊臣政権の例を見るまでもなく、その政権の安定性は低いわけです。
よって幕府は大名の経済力を奪うことにも力を注ぎました。
(1)金銀山直轄
大名が金銀山を有している場合、金銀が貨幣である以上、貨幣を自由に入手できるということであり、中央の経済圏に頼らずとも自給自足が可能になります。
またその分中央政府の財政基盤は相対的に弱いということでもあります。
豊臣秀吉はそのことを当然承知しており、全国の主立った金銀山を直轄としました。
家康も関ヶ原の勝利という千載一遇のチャンスを生かし、金銀山を直轄とするとともに、大久保長安を登用し、さらなる生産量の向上を図りました。
金銀山直轄は領内に金銀山を有する大名の経済的自立を阻止するとともに、幕府の財政基盤を確立するために大きな役割を果たしたのです。
大名は領内で生産できない物資を入手するためには貨幣を使用するしかありません。ですから採掘により直接貨幣が入手できない以上、自らの領内で生産したものを「領外」で販売することが必要になるのです。
もっとも、生活物資をそれほど藩の外から入手する必要性が少なければ、それほど大きな市場を領外に求める必要はありませんでした。
(2)夫役
夫役とは、大名に対し労働力とその費用を出させて、土木工事などを行わせるものです。
あまり知られていませんが、江戸の町づくりや川の付け替え工事と言った大土木工事は大名たちの手によってなされました。
※ちなみに、昔は日比谷は海で、溜池はその名の通り池でした。
さらに彦根城をはじめとする幕権維持のために必要な様々な城郭の新築・改築も夫役によって行われていました。
関ヶ原の直後だけに、徳川家への忠誠を示すという観点、他大名の手前見栄を張らなければならないなどから必要以上に費用を必要としたため、大名たちは経済的に大きなダメージを受けることになります。
これは豊臣氏も例外ではなく、豊臣氏の財力を恐れた家康は寺社の復興などの名目で蓄財していた秀吉の遺産を使用させ、経済力を削り取っていったのです。
(3)鎖国(貿易独占)
鎖国については、宗教的要因で語られることがほとんどです。曰く「キリシタンの進入防止のため」。
しかし、経済的に見た場合、鎖国は貿易による貨幣の入手を原則として禁止するという意味を持っていました。
貿易というのは非常にうまみを持っており、金銀の入手はおろか国内で多額で取り引きされる珍品の入手も可能にします。
幕府としては”無用な”貿易を大名に行わせないことにより、大名の貿易による収入を途絶するという意味を持っていましたのです。
これにより、大名は貨幣を入手するためには自らの領内で生産したものを「国内」で販売することが必要になるのです。
※ちなみに現実的には30年代から老中奉書を要するなど、鎖国完成以前から経済的には事実上の鎖国状態でした |
|