8/15日の終戦記念日が近づき、またぞろ韓国の日本に対する賠償・謝罪を求める声が高まっている。
特に今年は、1910年の日韓併合から100年を迎える年にあたり、とりわけ騒がしい。
それに呼応するように、民主党政権が1995年の村山談話並の謝罪談話を発表する意向も伝えられている。
ところで、日本では1945年、ポツダム宣言を受諾し、いわゆる玉音放送が流れた終戦記念日にあたる8/15日は、韓国では「光復節」と言われている。
「光復節」とは、wikipediaを調べてみると、
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光復節(こうふくせつ)とは、朝鮮の大日本帝国(日本)
からの解放を祝う大韓民国の祝日である。8月15日。
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とされている。( リンク )
しかし、この短い文に嘘が2つ含まれている。
1 日付の嘘------韓国樹立の宣布式が執り行われ、独立を果たしたのは「1948年8月13日」である。
2 支配者の嘘----韓国は、日本から独立したのではなく、は、アメリカ軍政から独立した。
朝鮮は、有史以来連綿とモンゴルや中国、一部は日本の属国であり続けた。
1897年、日本の日清戦争勝利によって、歴史上初めて清の属国から独立し帝国を名乗る。
したがって、独立を祝いたいのであれば、属国の記念碑「迎恩門」を撤去し、「独立門」を打ち立てたこの日が独立記念日であろう。(※)
しかし、無能な李朝の王政が、当時の欧米列強による帝国主義支配に抗えるわけもなく、程なくして純宗皇帝は日本に併合を求める。
1910年、日韓併合条約(「韓国皇帝が韓国の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝に譲渡する」)( リンク )よって、大韓帝国の短い歴史は終わりを告げる。
それ以降、朝鮮は日本の一部となり、ともに第2次世界大戦を戦い、1945年8月15日の敗戦を迎える。
この日、朝鮮を管轄する朝鮮総督府は呂運亭に朝鮮建国準備委員会を結成させ、朝鮮人に自治権を付与した。これは大日本帝国の一地方に自治区を設けたという程度の意味で、独立ではない。
自治権獲得によって、朝鮮総督府からは日章旗が降ろされ、代わりに太極旗がはためいた。
しかし、同年の9月8日、米軍が南朝鮮に進駐すると、進駐軍は太極旗を引きずり下ろし、再び日章旗を掲げさせた。
さらにその翌日9月9日、同じ場所に掲げられたのはアメリカ国旗であった。この軍政は1948年8月13日まで続くことになる。
この意味するところは、
・朝鮮は日本の一部であって、日本が連合国軍政に置かれる以上は朝鮮も同様であり、自治権など無い
とマッカーサー=米国が判断したと言うことである。
従って、韓国が祝うべき日は、8/13日であり、「アメリカ軍政からの」解放を祝うべきなのである。(朝鮮総督府総監は、1945年9月28日まで阿部信行陸軍大将が務めている)
こうした事実を覆い隠したまま、今年も韓国は「光復節」の日を迎える。
※「迎恩門」は、朝鮮王が、中国の皇帝の使いの者を三跪九叩頭の礼( リンク )で迎えるための門。同様のものとして、「大清皇帝功徳碑(三田渡碑)」( リンク )があり、こう記されている。
リンク
・大馬鹿な朝鮮王は愚かにも、偉大な清国皇帝に逆らった。
・清国皇帝は愚かな朝鮮王を窘め、己の大罪を諭してやった。
・良心に目覚めた朝鮮王は自分の愚かさを猛省し、偉大な清
国皇帝の臣下になることを誓った。
・我が朝鮮はこの清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国
に逆らった愚かな罪を反省するために、この石碑を建てる
ことにする。
清からの独立を記念した「独立門」は、なぜか「日本から独立した記念碑」と曲解されて伝えられることもあるようである。 |
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