文藝春秋の総力特集 暴走官僚組織 エリートたちが日本を食い荒らすを紹介しているサイトから引用します。
官僚の暴走っぷりが数多く紹介されています。
生涯成長 暴走官僚(1) リンクより引用します。
以下引用です。
以下は、「文藝春秋」の2008年1月号の特集、「総力特集 暴走官僚組織 エリートたちが日本を食い荒らす 最強の取材陣が怒りをもって暴く腐敗と無責任」からの引用です。いま、官僚組織によって、何が行われているかを知るために、しっかりと読まなければならない記事だと思います。
「序」 「国民を人質に取るなかれ」 (ジャーナリスト・水木楊氏)
官僚組織は、市場の厳しい競争にさらされることがない。いかに能率が悪いことを繰り返していても、既得権にしがみついて変革を怠っても、要りもしないサービスを飽きもせず作り出していても、ライバルとの競争に負け、売上が減ることもなければ、株価が下がることもない。銀行から融資を止められることもない。税金という名の代金は強制的に徴収できる。だからこそ、公僕たる官僚たちは人一倍鋭い感受性を備え、権力の濫用を慎み、社会のニーズを謙虚に汲み取らなければならないはずだが、最近の官僚たちは感受性の恐るべき欠如をさらけ出している。そのよい例が2008年からスタートする「特定健康診査・特定保健指導」だろう。
「メタボ退治」と称し、男女のウエスト、最高・最低血圧、中性脂肪値、空腹時血糖値などの基準を定め、一定期間後に適正値に近づけるよう指導する。専門家によれば、基準値そのものも妥当性に欠けるそうだが、恐ろしいのは、適正値を達成できない人には「自己責任」として、最大10%アップの医療費を負担させることも真面目に検討中だとか。「メタボ」と認定された人々は、健康保険証に黒マークでも付けられるというのか。指導の理由は「メタボだと、早死するから」。冗談じゃない。早死しようが遅死しようが、こっちの勝手。死ぬ時期まで国に「指導」されてたまるものか。
もう一つ紹介すると、2009年度までに始まる「裁判員制度」。米国の陪審員制度にも似て、裁判所がクジ引きで一般人から六人の裁判員を選ぶのだが、法律をよく読んでみて、仰天した。裁判所から通知を受けたら、原則として辞退できないのだ。裁判が始まると、少なくとも数回、多いときは数十回、出廷しなければならない。これは第二の徴兵制度だ――との批判もあるが、それ以上である。というのも、裁判員に選ばれたら、評議の秘密その他の職務上知りえた秘密を漏らすことができなくなる。一生である。漏らしたら、なんと六か月以下の懲役、または五十万円以下の罰金。
常識を超えた画一的な発想、無神経な押し付け、権限拡大と責任拡散は彼らの得意技だ。こんな例は探せばまだいくらでもあるのだが、彼らは異口同音、「国民のための○○」を錦の御旗とする。そう言えば、かの悪名高き社会保険庁の「グリーンピア」も、「列島改造論」の田中内閣時代、厚生省(当時)が「国民のための保養施設」として、全国で十三箇所建設したものだ。ところが、大事な年金保険料総額1953億円を投じた施設が、ご承知に通りの顛末で、わずか48億円で売り飛ばす結果となった。
<国民に悪乗りするな>
だから、「国民のため」と簡単に信じてはならないのだが、昨今、政治家はもちろん、新聞社の論説委員からテレビ・キャスター、お笑い芸人、はてはタクシー運転手から街の理髪店主まで、猫も杓子も「国民は許さない」、「国民の怒りをどうするのか」など偉そうに、「国民」なる言葉を乱発する。政治家の登場するテレビ番組が結構視聴率を稼ぎ、みなが「国民意識」に目覚めたのかもしれないが、「国民」がこんなに氾濫している国も珍しい。その「国民」に悪乗りして、官僚たちは市民生活に隙あらば介入し、あるいは歳出の拡大による自己の組織増殖を狙っている。
おまけに、与野党伯仲の政治情勢が彼らを助ける。不幸なことに、日本には例えば米国における共和党、英国の保守党のように、「大きな政府」を半ば本能的に嫌う政党が存在しない。各党とも口では「小さな政府」と言うが、口先ばかりで、新政策(歳出増)によって「支持政党なし」の浮動票に媚を売ろうとする。国会審議を見ればいい。「生活関連」と称して、歳出増を伴う法案が目白押し、福田政権は小泉政権から一転して、「国民に優しい」政策を展開しようとしている。得たりや応と官僚たちは、悪知恵をめぐらせ、「国民のため」の新政策を立案する。
思えば、官僚批判の嵐が巻き起こったのは、平成年度の初頭のことだった。厚生次官、元運輸次官がワイロを受け取った疑いで相次いで逮捕され、やがて官僚中の官僚と言われた大蔵省幹部にも司直の手が入るに及んで、「公僕」への信用は地に落ちた。官僚たちのモラールも萎え、人気も急降下。 官僚養成機関である東大法学部の学生の多くは、高所得を約束される外資系木金融機関に流れた。だが、官僚はしぶとかった。切っても出てくる芝居の幽霊ではないが、「余計なことをするな」という、怒涛のような批判が下火になるのを見計らって、むっくり頭をもたげた。政府を巨大な株式会社に例えるなら、株主は納税者だ。株主代表であるはずの政治家たちは、情報を官僚に握られ、結局のところ彼らの力を借りなければ何もできはしない。官僚組織という、この化け物を誰がチェックするのか。会計検査院なるものがあるが、彼らもまた官僚。重箱の隅を突くような作業をして見せても、大悪は掃除できない。改革を成し遂げた自治体には、外部監査を受け入れたところが多い。官僚組織全体に第三者の厳しい目を導入することを、そろそろ考えてはどうか。それが納税者の目を貫徹させる第一歩である。まずは以下のレポート(順次掲載、部分引用)を読んでいただきたい。(ジャーナリスト・水木楊氏)
国民と行政との間は、基本的には決して契約関係ではなく、信認関係によって結ばれているはずです。つまり、国民の利益を考えて政府(行政機関)は行動してくれるでしょうから、政府を信じ、政府にお任せするという関係です。むろん、盲目的で白紙委任の信頼ではなく、立法機関と司法機関のチェックが行われるという下での信認関係だと思います。その行政を担う官僚組織に暴走が見られるという指摘で、ここ数年嫌というほど見聞させられてきた事柄です。これを正すため幾つかの行政改革が進められてきていますが、十分な効果を発揮していないということです。
以上引用終わり。(2)に続く。 |
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