素人による創造
233524 万葉集考察〜残るのは没個性、伝えるのは素人
 
阿部佳容子 ( 47 大阪 営業 ) 10/06/20 PM10 【印刷用へ
「万葉集」は現存する日本最古の和歌集ですが、現在も老若男女問わず多くのファンを得ているようです。歴史的には、平安〜江戸まではほとんどオモテに出ることない埋もれた和歌集で、顧みたのは源実朝くらいだったといわれています。

「貫之は下手な歌詠みにて『古今集』はくだらぬ集に有之候」というセンセーショナルな書き出しで始まる明治31年正岡子規「歌よみに与ふる書」により、再発掘・絶賛されて以降、学界・在野を問わずの人気は今日まで繋がっています。

その真髄は「没個性」にあります。

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さてわたしは以上において万葉集の出発の時期から、その最後の一首にいたるまでの流れを、歴史とともにたどってきた。しかしこれでは、実は不十分なのである。

というのは万葉集の特性として、作者のわからない歌をほぼ半数かかえているからである。いつ誰がどこでどういうふうに詠んだか不明の歌がそれである。そしてこれを半数二千余首も有するということは、万葉集なる歌集のさまざまな特質を物語るだろう。

今までわたしは歌人といったことばで何人かの人を呼び、作家と言うことばでもそれを称してきたが、それは単に歌の作者という程度の意味であって、普通の人びととはちがって、職業的に自覚をもって作歌に専従した人間は、だれひとり存在しない。もちろん個人個人の間にはおのずから巧拙の違いはあっただろうが、歌を作るということは決して特別なことではなかったのである。ほとんどみんなが歌を詠む時代であった。

近代文学におけるがごとき作家が存在しないことは、平安時代でも共通のことだろう。しかし平安和歌が貴族の文芸だという点で、それは万葉とことなっている。万葉にあっては、より広い階層の人びとが歌の作者であり享受者であった。そしてこれらの人びとの歌は、いまだ完全に個人化していないところが、万葉の基本の性格である。

以上にあげた人びとは、かなり個性的な表現を和歌に託しているし、その限りでは個人の歌なのだが、それにしても近代文学であったら剽窃になってしまうような表現は、けっして少なくないのである。さかのぼって記紀の歌謡や物語にはさらに個性は希薄である。この古代性は万葉という叙情の世界にも濃厚に残存している。この類想性を、すぐれた学者は古代短歌の等質性と読んでいる。

しかし、この非個性的性質は万葉の中でより古い歌に多いのかというと、逆に新しい歌、しかもほかならない作者不明の歌に多い。これはどういうことなのか。和歌は宮廷において家持の歌のような近代性までも獲得していったが、より広い低階層においては、きわめて私的・日常的な表現として愛や自然を歌ったのだった。大衆あるいは民衆という名で呼ばれる彼らの生活詩は、類想的等質的和歌であった。万葉集の無名歌とは、そうした後期万葉庶民の歌なのである。

彼らの歌が個性的でないということは、より深く人間基本の真実を歌っていることを意味する。民衆の真実を基底とすることで、万葉集は広く国民歌集たり得たし、そのためにいかなる読者にも、その感動を伝えることができたのである。

中西進「古代史で楽しむ万葉集」

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現代人は、誰かに何かを言うとき、書くとき、ついつい気の効いた表現を探してしまったりしますが、本当に万人に伝わる(残る)のは見たまま感じたままの言葉、表現なのだと思います。そういう意味では、言葉ひとつひとつは、より潜在思念に近い位相にあるものではないでしょうか。そして、本来頭を使うべきところ=観念力が必要とされるところは、話全体の構成、切り口・視点なのだと思います。

そのことに自覚的だったと思われる子規が、万葉集を再評価したのも歴史の必然のように思います。
 
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