>最近の言い逃れの様な「相手の尊重」という個人主義の言い分ですが、いったい大切なのは自分なのでしょうか?相手なのでしょうか?
(972「個人主義者の詭弁 個人と自我」)
今日の、サロンで後輩が、
「個人主義の主張って結局なんだったのか、よくわかりませんでした。。」
と、言っていました。
それを聞いて、それもそのはずだなぁと思いました。
「個人主義者たちが」いくら「尊重する」など、あたかもよさそうな言葉をならべていても、”相手”とか、”自分”とか、所詮は、全て『個(人)』に基づいている観念です。
仲間収束を経て、周りの人たちは全て闘争仲間(231543「新人から感じる「実現の時代」の到来!! 」)と、肉体化されている若者達。
そこには、「個人」という概念は存在していないのでしょう。
一方で、まだまだ、この「個人」という概念は、学校をはじめ社会に蔓延っています。(199594「世の中に蔓延する自分主義」)
だからこそ、彼ら若者の潜在思念に響き、活力を引き出す言葉群が必要になってくるんだと思います。
>真っ白で生まれてきて、周りの反応や、環境を吸収して大きくなる。
>このことは、「自我の確立=アイデンティティの確立=自分らしく」
と言われつづけて育ってきた私たちには、ものすごく、安心できる気づきでした。(81876「対象同一性の確立」)
若者(大衆)が、旧観念無用となり、真っ白になればなるほど、逆に学校や国家(特権階級)の暴走は、止まらなくなる現実もあります。
若い世代のためにも、これからの社会のためにも、新概念を少しでも知った人々から、より強固に広めていきたいと、強く感じました。 |
|