おこもり(筆下しと水揚げ)を経て若衆入りし、公に「夜這い」をする事が許される、という記事を紹介します。
日本の性文化より(リンク)より抜粋。
【筆下しと水揚げ】
「夜這い」を実践していた村には、「修験者(山伏)の指導」と考えられる性に関する様式がある。
勿論、村によりかなり多様な形態があり、アバウトなので、全てがこの様式ではないが、およそのところを要約すると、村の男は数え年の十三歳で初めてフンドシを締める「フンドシ祝い」、数え年の十五歳で「若い衆入り」と言う通過儀礼があり、年齢が達すると成人と見做され、「若い衆」と言う成人男子の集団への参加が許される。
この「若い衆入り」を果たすと、「筆下し」と言って、村の女が性行為を教えてくれる。
その相手は、後家、嬶(かかあ)、娘、尼僧と様々で、くじ引きなどで決められる事が多かった為、場合によっては実の母親や肉親がその相手になる事もあった。その場合でも、ルール上相手の変更は禁じられた。
それは、「筆下し」が若者の成人を手助けし祝う宗教的儀礼だったからで、神社や寺院の堂がその舞台となった。
この辺りに、妙見信仰(真言密教)による「宗教的呪詛」の一端が垣間見える。
この「筆下し」が済むと、漸く公に「夜這い」をする事が許される。
女性の場合は初潮、或いは数え年の十三歳を節目として成人と見做され、おはぐろ祝い、またはコシマキ祝いが開かれ、暫くすると「水揚げ」となる。この「水揚げ」、親がその相手を探し依頼する事が多かった。
「水揚げ」の相手は、村の年長者で性行為の経験が豊富な事には勿論の事、人柄が良く水揚げ後も娘の相談相手になれる後見人として、村長・村主・庄屋・名主や村役と言った資産も政治力も在る村の実力者の男性が選ばれた。
娘は、水揚げ親に性交術を実践伝授される訳で、つまり「水揚げ親制度」は、娘の将来に渡る後見人を獲得する事は勿論の事、同時に日頃のお礼の意を示す事や一家のその後をその実力者に託す為の人身御供伝説を彷彿させる「貢(みつぎ)の正当化」ではなかったのか?
その水揚げを経る事によって、その娘に対する「夜這い」が解禁となる。
これらは、信仰深い人々にとって「神の計らい」だったので有る。
「夜這い」とは、村落共同体を維持する為の有用な慣習だった。
その規則は住民達によって細かく決められていて、その取り決めは村ごとに異なる。その差異は、「村の規模や性格によるもの」だとされている。
夜這いが解禁される基準も村によって異なるが、数え年の十五歳という年齢が一つの目安となっている。
これは、武士社会の「元服式」にも通じるから、数え年の十五歳の身体は立派に大人なのである。
自然に成熟する若い男女に、大人としての自覚(社会的責任)を身体の成長に合わせて周りがきちんと教える「理に適った」習慣である。
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