『規範』と聞くと、窮屈で、守らなければ“ならない”と言うどちらかと言うと否定的なイメージを浮かべますが、当時の村落共同体における規範は“充足規範”であり、守ることで、村人(周り=みんな)が充足する。その積み重ねが規範化され、“掟”となっていた。
充足規範ならそのまま「継承されればいいのに」と思ってしまうが、私権という「周りは敵」、「自分さえ良ければ」と言う私権観念、私権規範が蔓延すると“周りの充足”よりも“自分の充足”が第一になる。そうなると利害関係が生まれ、それを調整する為や私権を侵食しない決まりごと=規範や法制度が必要になる。それらがマイナス的なイメージを植えつけてきたのでしょう。
現在、私権が衰弱し、かつての私権規範は意味を成さなくなる。
新しい規範が必要となってくる。
どうやって、創られていくのか?
元投稿の次の文章がポイントになるのではないだろうか?
>若衆組や子ども組などの年齢別の階層組織の自主管理性が重んじられていたことなども考え合わせると、他律的な規制に従わされていたなどというのは誤った歴史認識だといえるでしょう。
要は、自主管理性を高める“場”が必要で、年代や能力に応じた“場”が与えられることによって課題や対象性、主体性が更に生起される。
自分たちの場を自ら自分たちで創っていく。そんな充足体験の積み重ねから“充足”規範が創られて行く。
“若衆組”については、るいネットにも多く紹介されていて、
173854 「若者(衆)組」の機能とその名称
が解かりやすい。
>婚前自由性交渉としてのヨバイは若者組の管理下にあったし,青壮年型の若者組とても婚礼との結びつきは深かった。娘の結婚には若者組の承認と祝福とを要したのである。
など、かなりの決め事が彼らに任せられていることが解かる。 |
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