何かと「今の官僚は堕落している」と言われている。
堕落の中身は何かといえば、国民全体の利益を追求すべき立場であるにも関わらず、自己の利益を優先している点にあるだろう。
『民主党が知らない官僚の正体』(著者:日下公人)では、”わたしの感覚で言うと昭和30年代、1950年代は立派だった””それが崩れ出したのは60年代後半あたりからかな。最高に崩れたのが70年代後半。”(24頁)と書かれている。
この書に基づけば、この堕落の原点は、官僚が「公」から「利」を追う立場に変質したことにある。
そして、そのきっかけは「補償の消失」すなわち「恩給制度の廃止」にあるとしている。
以下、その経緯を追ってみる。
日本における官僚制度の始まりは明治時代であり、その時から「己の一生を国に捧ぐ」という公の精神が強調されていた。ここで忘れてはならないのが、「その代わりに一生の見通しが立つような生活を保障する」という見返りが存在していたことだ。当時の考え方は、悠々と仕事をできる環境だからこそ広く世界を見渡し、遠く未来を見据えながら国家戦略を考案、実行できるというものだった。
官僚発足初期は構成員の多くが侍上がりで、”侍の禁欲の上に制度の保障が重なっているわけだから、これに対して自分は一生をかけてお返しをしていくんだという気持ちになる”(同書27頁)という意識だった。「公」のために働くという官僚魂の原型はここで形成されたと言ってよい。
この時点では、優秀な人間が公に身を捧げることに対する「補償」の意味合いが強かった。そのため、もともと軍人用の『恩給制度』が官僚にも適用されることとなった。簡単に言えば、退職後も給料の7〜8割が支給されるもので、あれこれ考えなくても一定の生活水準を維持したまま一生いけるという制度になっていた。ただし、そこには同時に「利益を追求しない義務」も付いてきた。
その後、軍人官僚の台頭→世界大戦→敗戦を経て、再び文官系の官僚が国を主導する社会になった。朝鮮特需の効果もあり、1950年代には大きく国力を回復していたのだが、ここで大きな動きがあった。
それは「恩給制度は不公平だ。みんなと一緒にしろ」という国民の声だった。よほどそういう意見が強かったのか、1959年には官僚への恩給制度が廃止(正確には改正)され、代わりに民間でも行われていた「共済制度」へと移行した。
共済は相互扶助でしかない。これでは補償だけ引き剥がされて「公のために身を犠牲にする」「自己の利益は追うな」という概念しか残らない。当然、官僚からすれば働きの割に報われないという考え方も生じる。
折りしも、その後日本は高度経済成長期に入り、民間の所得や生活水準は大きく上昇していく。すると公の精神が薄れた官僚から”官庁は民間にいったやつの半分の収入だった。あの野郎は俺より頭悪いくせに俺の倍もらってやがる”(同書25頁)のような屈折した感情が出てくる。
これらの「補償の引き剥がし」「エリート意識発の歪んだ感情」から徐々に「権力があるうちに自分の利益を確保せねば」という動きが増えてきて、企業との癒着や特殊法人の設立、天下りなど、自己の利権テリトリーの形成ばかりが主軸になっていく。もはや初期の「公」の精神は消え去り、「国民のため」は自己正当化のための虚しい言葉に成り下がった。
結果的に恩給の何十倍、何百倍もの税金が食われる羽目になってしまった。何より、国民の生活向上を目指して行動していたはずの官僚が、経済成長の潮流の中で国民に対して嫉妬していくという形になったのは、皮肉と言わざるを得ない。
冒頭の言に戻れば、筆者が立派だったとする官僚世代は1950年代だった。その後60年代、70年代と崩れていったと感じているのだから、1959年の恩給制度廃止が官僚の「利」の追究→堕落に至るきっかけだったとする見解は的を得ているように思える。 |
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