日本の官僚の問題点に関して、【革新官僚は】なぜ官僚は「無責任」なのか【全員無罪?】(日々是勉強さん)の記事がありました。参考になると思い、引用させて頂きます。リンク
(以下引用)
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私が思うに、官僚主義国家の重大な欠点は、「国家に対して役人自身が責任を取らない」という点にあります。(中略)
革新官僚というのは、戦時中にいわゆる総動員体制を作り上げる時重要な役割をした人々を言います(リンク)。しかし、ここでは少し意味を広げて、企画院やそれに類する機関で働いていた若手・中堅の官僚という風に考えてみましょう。その多くは、満州国の建国に携わっており、当地での経済統制が成功したため相当自身の手腕に自信を持っていました。
ちょうど日本が大戦への道を突き進む時代の政治には、一つの特徴があります。それは、総理大臣の在職期間(つまり、内閣の存続期間)が非常に短いということです。満州事変から敗戦までの15年で、実に16もの内閣が成立しています。
もちろん、当時の内閣は閣内不一致があると解散に追い込まれるという仕組みになっており、軍人が内閣に参加するようになってその傾向が強まったという事情はあります。しかし、それはあくまで二次的な要因でしょう。そもそも、こんなに頻繁に内閣が交替しても、国として機能しているということは、内閣(政治家)以外の連中が国家を運営していたということです。
つまり、戦争の時代とは、政治家が無力化し、官僚(軍人も広い意味では官僚に当たる)が国家を牛耳った時代でもあったのです。
重要なのは、こういった人々の思想的バックボーンです。(リンク)に興味深い記述があります。
(以下引用)
転向した知識人,あるいは幅広い意味での左翼思想の影響を受けた知識人の果たした役割は決定的に大きかったと思う。彼らの一部は企画院などの国家官僚になったものもいる。また,昭和研究会で近衛内閣のブレーンとなったものもいる。満鉄調査部にはプロレタリア文化運動の経験者が多い。これは,最近よく論じられる戦前・戦後の継続の問題にもつながる。ある旧制高校では「マルクス派」の方が多数派だった時期がある。その彼らが戦時から戦後にかけて国家官僚として「統制経済」──戦後改革─―高度経済成長政策をリードしたのである。これは,体制再統合に成功した疑似革命ないし「受動的革命」過程といえるかもしれない。その意味で,戦前に社会科学の洗礼を受けた旧制高校―帝大卒の国家官僚の果たした役割は決定的である。
(引用以上)
「企画院」というのは、簡単に言えば総動員体制を中心になって作った機関、つまり革新官僚の牙城です。「プロレタリア」と付いていれば、社会主義の活動であることは間違いありません。
なんと、戦中や戦後間もなく官僚になった人々は、マルクス主義のシンパが多かったというのです。マルクス主義というのは、言うまでもなく社会主義、共産主義の思想です。
皇国の国体護持・・・などと言い、治安維持法で社会主義者を取り締まっていた時代にですよ。国家を実質取り仕切っていた連中が社会主義者だったというのです。これにはちゃんとした理由があります。
まず、革新官僚が、純粋培養された「エリート」だったことです。社会主義というのは「完全無欠の机上の空論」です。つまり、マルクスの本の中だけなら、初めから終わりまで何の矛盾もなく世界の仕組みを説明できるということです。革新官僚の多くは旧制中学、いわゆるナンバースクール出身ですから、勉強ばっかりしていて、世間のどろどろした部分のことは全然わかりません。だから、そういう無菌室のような「机上の空論」には弱いのです。(今でも、共産党の「大卒」党員は、東大上がりが多い)
彼らの性質は、政治家と言うより学者に近いものがあるといってもいいでしょう。だから、完璧で、淀みも歪みもない理想の世界が実現できると信じてしまうわけです。
もちろん、執務中に「インターナショナル」を歌う馬鹿(笑)はいなかったでしょうが、人為的に理想国家を作り出せるという発想は、革新官僚たちにかなりの影響を与えていたはずです。
また、軍国主義を標榜する陸軍と利害が一致していたという点も見逃せません。陸軍は日露戦争後も一貫して膨張し続けており(パーキンソンの法則を思い出すと良い)、中国やソ連を敵国とした「仕事」を作る必要がありました。かといって大陸で戦線を拡大すれば、当然ながら続々と死者が出ます。それに対する批判を封じ込めるには、全体主義で行くしかないのです。ちょうど、今の北朝鮮や中国、ロシアがそうであるように。
この全体主義というのは、革新官僚が大好きなマルクス主義=社会主義とも共通する点です。だから、陸軍と革新官僚は、仲良しだったということです。表の主役は軍人さん(陸軍)、裏の主役はお役人(革新官僚)とでもいったところでしょうか。
しかし、ここで疑問が浮かびます。なぜ日本を一時的に支配した「連合国軍総司令部」(GHQ)は、国家を実質的に運営していた社会主義者の革新官僚を真っ先に始末しなかったのでしょう?
ここで、一番先に挙げた「道具としての官僚」を思いだしてください。官僚は、新しい支配者に黙って仕えていれば、詰め腹を切らされることはないという特質がありました。
確かに、革新官僚でも、閣僚経験者やそれに準じる人間(たとえば、戦後首相になった岸信介など)は戦犯ということで公職追放になったりしました。しかし、革新官僚だった人物で、処刑台の露と消えた人物は一人もいないのです。
もちろん、憎き鬼畜米英に対してテロを起こす革新官僚も、天皇陛下の為に割腹自殺をする革新官僚もいませんでした。それどころか、戦犯となって公職追放になった者以外のほとんどが、戦後も省庁の中でのうのうと生きながらえたのです。
それも当然でしょう。なにしろ、彼らは、自分の仕事さえ出来れば、主人は誰だろうと構わないのです。(中略)
革新官僚の戦中戦後を見ていくと、以下のようなことがわかってきます。
@革新官僚は、自分の理想とする全体主義国家樹立のために、いたずらに戦争を拡大する方向を取った。
Aそれにもかかわらず、彼らのほとんどは戦後も責任を取らず、官僚であり続けた。
(以下省略)(以下引用終わり)
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