<4世紀〜5世紀>
中国では紀元前の春秋時代に、盟約に伴う国際儀礼の一環として、支配氏族の中枢的地位を占める人物を「質」とし、贈与のための技能者たちを「賂」(まかない)として、ともに相手国に送ることがあった。朝鮮王権が倭国に送った「質」(≒外交使節)と技能者もほぼ同じ性格を持ったものだった。
ただし、倭国時代の外交上の贈与関係は「質」を介してのみ行われていたのではない。この時代、王権外交は贈与外交を基本としていた。
そして、この王権外交では、実務レヴェル、あるいは外交政策の決定過程において、王の下に集まる支配者たちもこれに様々に関与し、王をサポートしていた。彼らが王に代わって外交を遂行することで、王と王との関係にとどまらない、複線的・重層的な外交チャンネルも形成されていったのである。従って、外交上の贈与・互酬の関係もまた、王だけでなく臣にまで及ぶことが度々あった。
こうした倭臣・「質」・渡来技術者の密接な関係は、朝鮮諸王権が物品の贈与だけでなく人の贈与、すなわち渡来人を通しても、倭王周辺の特定人物から外交上の見返りを引き出そうとしていたことを示す。
(参考 田中史生 「倭国と渡来人」) |
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