子どもだと仮病という言い訳を作ります。その言い訳が本当に頭痛や腹痛を引き起こすので、ストレス性なんとかという保証人がつきます。
月曜日になるとこの病気は増えます。参加回数が少ないほど参加に対するストレス性なんとかは増えます。医者は無理をしないように言うしかありませんが、無理をすると不思議と治ってしまいます。周囲の人が治って欲しいと思っているからその共認充足が伝わって治るのでしょう。
今はもうこの想像妊娠的な病は子どもだけではありません。
給食の時間に周りの同級生はみんな敵だといって家に帰ってしまう子がいます。言い訳者の言い分は大体が自分は悪くない周りがおかしいんだ、自分は被害者なのだと言います。自分には他にやりたいことがあるのに周りがこれをやれと強制するから悪いのだ、と言います。それではそれをやれば良いと放置するとそれもさぼっています。
本当は自分もみんなの輪に入って同じことをやりたいのに思うように行かなくて理由を見つけるだけなのです。見つけた理由にすがって下部意識を誤魔化すと病気になるのは当たり前です。
無秩序は言い訳をスルーすることによって互いに言い訳を許し、やりたいときだけ参加して、次にまたいつ参加するか分からない、もっとひどいと言い訳者まで頭数に入れてお願いするようになります。例えば、出なくていいから署名だけしてと言います。
学校だと、保健室でもいいから学校に来て、出席したことにしてと言います。塾やフリースクールでも登校拒否数には入れないでおくと言います。福祉でもなんでも入金だけして参加しなくても良いからと言います。
言い訳のスルーは、エネルギーと時間の浪費という理由以外でスルーすると、スルーする本人にも下心があると推定できます
逆に無駄な集団にズルズルと参加することをもってして忙しいことの言い訳にすることもあります。会社では家庭の事情、家庭では会社の仕事、友だちにはどちらをも言い訳に使い分けます。結果、どちらからも信頼されない事例など枚挙に暇がありません。
集団の信頼を失うことが恐くなくなったら、その集団にとってはどうでも良い相手ということになります。このとき、去ってゆく者は見限られたという自覚はほとんどなく、見限ったという意識があることが経験上知られているのではないでしょうか。 |
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