『GRAND THEORY Vol.8』「戦争はなくせるのか?」第1章をネットサロンで読んでみました。その中で、議論になったのが、戦争の起源とも言える、遊牧部族の登場が集団をどう変えていったのか?の部分です。要約しますと、
@約8000年前、現在のモンゴル高原やイラン高原で、急激な乾燥化に適応するために、遊牧という生産様式が発達した。遊牧という生産様式の中身より、遊牧部族は、男達が中心となって構成された。
A遊牧部族は集団戦力を維持するために、男残留・女移籍を選択せざるを得ず、人類史上はじめて母系制から父系制へ転換した。
B父系制では女たちの不安が増大し、必然的に女たちの利害対立が高まる。
C各遊牧集団の意識は「自集団の私益第一」へと変貌し始める。これが、「共認原理」から「力の原理」へと部族集団の統合原理が転換していく。
上記の流れだと、集団をどうするという視点で、生産様式も、婚姻様式も変化させてきた集団が、女たちの自我(利害)で、転換していくというのが十分繋がっていないのではという意見が出されました。
それに対しての答えは、9/23の「なんでや劇場」にありました(参考;リンク;なんでや劇場レポートB「自我⇒否定⇒私権意識の成立構造〜自我の原点は個人自我ではなく集団自我」)。
(以下引用です)
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掠奪闘争は遊牧部族発だが、他の採集部族が単一集団=それそのものが社会であるのに対して、遊牧部族は羊を連れて小集団で独立して移動する生産様式であり、拠点集団とそれから離れて遠征する遊牧部隊から成る複層社会を形成する。複層社会の遊牧部族では、単一集団では生起しない集団間の相対比較→相対意識が生まれる(ex.あの集団には羊が多い)。この遊牧部族の集団間の相対意識が、集団自我→他集団否定の母胎(卵)となったと考えられる。
そして、この相対意識が蓄積された上で、娘移籍の婚姻様式が始まる。遠征生活する遊牧部隊は男だけの集団で、かつ滅多に拠点集団に戻らないので、拠点集団から遊牧部隊に娘たちを移籍するようになり、人工的な父系集団が形成されたのだ(遊牧ではその生産様式が婚姻制度を規定している。)ここで移籍した女たちの性的自我→否定意識→私権意識が顕在化し、それが遊牧部族の男たちにただちに転写される。そうなると自集団を正当化する観念が形成され、集団全体がそれに収束する。そうなると、他集団否定(自集団のためなら、よそ者は殺してもいい)という理屈は簡単に成立する。
これが遊牧部族の集団自我→否定意識→私権意識の登場過程であると考えられる。自集団の正当化観念が掠奪→戦争の直接的原因ではあるが、複層集団の相対意識が母胎としてあってはじめて正当化観念も成立する。
認識の転換が必要である。
これまで自我は個人と一体であると考えてきたが、それは間違いではないか。
集団の自我(私権)こそ、自我(私権)の出発点ではないのか。
個人発の自我が集団に蔓延したのではなく、まず集団自我(私権)が生まれ、それが個人に転写され、個人の自我(私権)が生まれたのではないか。(引用終わり)
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なんでや劇場で扱われた、「集団の自我(私権)こそ、自我(私権)の出発点ではないのか。」という新認識で、サロンでの疑問点は明確になりました。
それと同時に、過去の人類の歴史を勉強する上で、集団をどうするという視点がいかに重要か、改めて明解になるとともに、自分第一(個人主義)が、人類の長い歴史の中でいかに特異であるか改めて認識出来ました。 |
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