グランドセオリー4「経済破局は来るのか?」の勉強会をしている。その中で、かつて(縄文時代?)の物流は「贈与」によっていた、という話しがあった。(物々)交換ではなく、相手に「気持ち」を「贈る」。その気持ちを媒介するモノが結果として流通する、という物流である。
当時は、新たに出会った集団との対立を回避することが目的だったと説明されているが、その実、相手が贈った物をもらってくれて、喜んでくれることが目的だっただろう。互いに嬉しい=共認充足すれば、争いは起こらない。結果として闘争回避になる。
重要なのは、共認充足を与え合うことが物流の主目的であったという点だ。いわば、共認充足の流通である。
これを受けて、今後の物流〜経済も、同様の原理で回っていかないだろうかと思った。
今後、幻想価値に関わる物的需要は衰弱していくだろうが、衣食住にかかわる物的需要は維持される。その原動力が共認充足の流通に主眼を置いたものになるイメージだ。
たとえば、食物。
農作物、畜産物、いずれも「安全で美味しいものを食べたい」という思いは普遍だ。これに応えることを主眼にした共認充足の流通。当然、物品の対価としての価格は支払われるが、共認充足をやり取りすることが主眼となる。そのためには、生産者と消費者をつなぐツールが必要だろうが、携帯のQRコードなどを商品に添付すれば、意外と簡単に間を取り持つことが出来るように思う。
ひいては、このような共認充足=「贈与」的な共認の輪によって、個人個人に分断された人々がつながっていくことは出来ないだろうか、とも思う。
まだ漠然としたイメージレベルなので申し訳ないが、かつての我々には可能だった物流様式なのだから、今でもそれは可能であると思う。物から心へという意識潮流も相まって、物流〜経済の新しい可能性が開けているのは間違いないだろう。
いかがだろうか。 |
|