>この宗教における「救済思想」から「神の前での平等、博愛」という価値観念が生み出され、近世、(市場において自我の可能性が開かれたことを背景に)神から人間への主役転換が起こった際、神との契約抜きに「人権は絶対にして犯すべからざるもの」という絶対観念=「人権天賦説」が産み出されたのだと思います。(59262)
人権ってなに?ということを考えると意外と即答できない人が多いのではないだろうか?いわば人権=人として最低限の権利=侵害できないもの=良いもの、という風に考えられるのが一般的ではないだろうか。
しかし、人権がいかに生まれてきたのか?そしてどの様に叫ばれ、使われてきたかということを考えると、いつの時代も己の私権を要求するための正当化観念として使われてきたということが分かります。
人権とは、「自己の要求を正当化するための架空観念」と言い換えることができるんですね。
私権獲得の可能性が開かれたからこそ、自我を正当化する人権を竪に要求・防衛の軋轢を繰り返し、法律という形で私権闘争が円滑に進みやすいように制御(抑圧ではない)してきた。
私権終焉を迎えた、今現在、法律の数は2000に届こうかというところまで来ている。人々の意識は私権から離れつつあるが、逆に偽ニッチとして、法律が生み出されやすい状況にあるのではないだろうか。
自我を止揚する共認圧力をどのように生み出してゆくかというところを主眼に、今後のシステムを考えてゆく必要があるのではないでしょうか。 |
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