>この様にして、『判断の土俵』を基礎とし、『人数』を評価指標とする新しい演場の中に、国家(身分)も市場(お金)も呑み込まれ、解体され、再統合されてゆくことになる。(33995)「超国家・超市場論24 必要か否かの『判断の土俵』が、国家と市場を呑み込み、解体し、再統合してゆく」
この記事が書かれてから数年の間、国家と市場の解体・再統合は現実のものとして進行している。
日本ではバブル以降、贅沢庁舎や無駄な公共工事が真っ先に批判の槍玉に上げられ、次いで高級品を中心に物販店が低迷し、一等地の店舗であっても高単価品の売り上げ競争から人集めができるかどうかが生き残りの分かれ目になっている。
自動車やレジャー需要全般は、高級品から安くて仲間で遊べる程度のものに転換した。こういった事例は枚挙に暇がない。
物財だけではない。かつてマスコミは、マスコミ間の競争状態であったのが、いまやマスコミ全体が大衆に見放されつつあるし、(現在は制度で守られているが)学校も大衆に見放されつつある。
これら「必要ではない」と判断されたものにはいくつかの共通項があるが、これらは市場社会の中核的な存在である事は間違いない。そして、08年のアメリカ経済破綻と、09年に自民党政治が見限られた事で、国家と市場の解体・再統合は更に加速していくに違いない。
一方で「これは必要!」というものも徐々に顕在化してきた。
例えば農業や介護は、誰もが絶対に必要なものと考えている。
実際の就業人口は少ないのは「儲からない」ので市場に乗らなかったからであり、政策次第では如何様にも供給者を増やす事ができると思われる。
また、マスコミに替ってネットの記事を読むことが多くなった。最近は必要な情報は殆どネットから得ている。また、読むばかりではなく、記事を書いたり、やりとりをはじめると新しい場がどんどん出来上がっていく。
「不必要」なものが、まず意識されて顕在化してきたが、それだけでは片手落ちで、これからは「これが必要!」というものを(潜在意識から)見つけていく事がますます重要になってくると思われる。 |
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