>つまり近代思想は、労働者の属性である〈誰かに雇われるのでなければ、自分では生きてゆけない〉奴隷的な現実を、不動の前提として組み立てられており、それ故その認識は、常に自己の現実から目を背けて非存在の世界へと収束されてゆく仕組みになっている。211366
私権の崩壊とともにすでこの前提も形骸化しつつある一方で、市場原理がかろうじて機能している仕事場面においては、主体の関わり方で場の圧力は一転する。
たとえば、クライアントとの打ち合わせに丸腰で(=充足イメージを持たず)出かけ、相手の言うことだけに表層的に反応してしまう、といった場面が挙げられる。
クライアントの潜在欲求はもっと深いところにあるにも関わらず、関係性深化の欠落によってそこにはたどり着けず、結果として旧来の序列関係での仕事となるため、お互い非充足にとどまってしまうことになる。
すなわち、旧来の手法・関係に陥るとたやすく私権原理が復元されるということである。
特に古い世代においては「安定的」であると錯誤していることもあって、
自ら進んでor無意識のうちに私権原理の復元を実践してしまい、これまた自ら進んでor無意識のうちにそこに組み込まれようとする傾向が強い。
これらの行為を通じて奴隷的現実を是とする労働者の属性が自らのうちに残存していることを理解すると同時に、実現の可能性が開かれた現代において、皆の充足を阻害する最大の原因であると自覚することが、
>「頭の中だけの自己」から「実現対象」への追求ベクトルの転換211366
への必須条件であろう。 |
|