>しかし、私権闘争の圧力で満たされた社会では、人為的な私権の強制圧力とそれに基づく共認圧力によって、「私権だけが絶対的に必要」(従って、何にたいしても必要か否かの判断は一切無用)という極めていびつな状態が作り出されてきた。
私権時代、人々は何に対しても必要か否かの判断を一切していなかったのか?
少しひっかかったが、
「共認動物である人間にとって、本当に必要(or不要)なものとは、個人にとってではなく、集団や社会にとって必要(or不要)なものである。」
と理解することでスッキリした。
個人主義に染まった私権時代、「必要か否か」の判断軸は、私権(=私的、個人的な権利)を第一とする共認に委ねられいた。こんな状態では「(集団や社会に)必要か否か」をまともに考えられる人などいない。
つまり、私権時代にも「必要か否か」の判断をしていたのだろうけど、それは個人にとって「必要か否か」でしかなく、(人間として)本当の意味での「必要か否か」という判断ではなかったということだ。 |
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