この投稿文を初めて読んだ時から、なぜ『土俵』なのか?に引っかかり文脈自体も理解できていませんでした。
今回、図解作成の議論を通じて『土俵』とは、
・相撲の土俵の如く360°の周囲から人々(皆)が見ることが出来る場で
あること
・更に、文字通り闘争の場、即ち評価競争の場であること
と理解できました。このことから「必要か否か」を判断するのは自分ではなく、みんなの評価であると言うことになるのです。
私権闘争の社会とは、土俵に上がる前に勝負が決まっていた社会であって土俵はあっても意味の無いことでした。一方共認社会では、
>『判断の土俵』を基礎とし、『人数』を評価指標とする新しい演場の中に、国家(身分)も市場(お金)も呑み込まれ、解体され、再統合されてゆくことになる。33995
と言われることにも納得です。 |
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