実験をするためには、仮説を立てなければならない。実験は検証に過ぎない。仮説とは、それ以前の実験によって得られた事実や理論を論理的に考察することによって得られたものかもしれないし、あるいは観察的事実かもしれない。いずれにしても科学とは、最初に実験ありき、ではありません。
実験や観察で得られた事実とは言っても、実験の前提条件についての議論が有ったように、極めて一面的な結果しか示さない、あるいは限定的な環境下でしか行えないものがほとんどだと思います。比較的実験しやすいと思われる物理学でもそうですね。(ニュートン力学と特殊相対性理論の例を思い起こしていただければわかりやすいでしょうか。)
ニュートンの時代はニュートン力学こそが全てと思われたが、アインシュタインの時代はそれは事実の一断面に過ぎないことがわかってきた。実験や観察で得られた事実とはいっても、絶対不変のものではありません。したがって厳密に言えば、科学的事実とは、いつまで経っても仮説なのかもしれません。(むしろ我々が、絶対不変の事実、あるいは公理を信じようすることこそが問題なのかもしれませんね。)
しかし、仮説だから駄目だ無意味だ、ということには無論ならない。竹村さんは「精度の高い仮説」と仰っているが、むしろ、「より統合度の高い仮説」について論じることが事実を論じることであり、一面的な実験データやツールとしての定説にだけ囚われていては事実を見誤るのではないでしょうか。
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