『場』の登場によって、2つの効果がもたらされるのではないか。
1.『場』が、新しい認識に(統合)価値をもたらす
>社会不全⇒人(ひと)収束を伴いつつ、外向収束から認識収束へ
と向かっている
のだから、【社会不全を払拭できるか=社会に役立つか】が、新し
い認識の有用性=認識収束に応えうるものかどうか、を見極めるた
めの判断軸となる。
とすればその判断は、旧い場=閉ざされた集団内(Ex.家庭、学校、
企業)ではできない(∵その場では”社会”より”集団”の論理が
優先される)。より開かれた=集団を超えた地平に場を築く必要が
あり、そこで実際に”切ってみて、使ってみせる(142655)”
ことで、その真価は末端まで共認され、指標価値となりうる。
2.『場』が、新たな(課題)圧力をもたらす
新しい認識に価値がもたらされることで、さらに認識収束⇒認識競
争の圧力が加圧される。常に新しい圧力(課題)⇒新しい認識(答
え)⇒活力の上昇サイクルが創り出されていくことで『場』の求心
力=期待と応望の熱は高まり、
>当り前になるほどその圧力は意識されなくなり、従って活力源と
しての機能が弱くなってゆく
この状況を突破していくことができる。
1.で一旦は(統合)価値を得た認識も、2.で部分最適に陥りかねない。『場』の登場により、一見して矛盾するこの流れを創り出していくことが、しかし最大の活力源=認識の塗り重ねを可能にする。
圧力と認識、双方が幾重にも塗り重ねられていくその先に、次代の社会を統合する最先端機能=『輝きある認識を形成し、供給し続ける場』が、その姿を現すのではないかと思う。
|
|