社会に対する否定意識に囚われた潜在思念では、極めて一面的な「構造認識」しか生み出せない。そのような誤った構造認識では、現実に答えを出すことはできない。現実の役に立つ新しい「構造認識」は、新しい潜在思念(収束不全⇒共認収束、および社会不全⇒社会収束の潜在思念)からしか生み出されない。また貧弱な潜在思念では、構造認識の習得が不十分なままである。
この潜在思念とそれが発見する可能性は、周囲の人間と無限に共有することができる。
貧困が消滅して生存圧力が衰弱し、同類圧力が中心的な圧力となった以上、自分を含めた人々の生み出す意識こそが現実となる。この現実を意識の深い部分が感じ取り、自身の潜在思念もある方向性を持って形成される。つまり現代では、自身の潜在思念と人々の潜在思念を分ける障壁は、存在しない。否定さえしなければ、人々の潜在思念と自身の潜在思念は自ずと一致していく。
つまり、なんで屋での会話であれ、ネット掲示板でのやり取りであれ、可能性発掘の為のやり取りが、豊かな潜在思念を生み出してくれる。
そうして得られた豊かな潜在思念(≒広い対象性)が、現実の役に立つ新しい「構造認識」を生み出すor習得する原動力となる。 |
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