真猿集団は、同類闘争(縄張り闘争)を第一義課題として共認しています。ところが、本能に基づく外敵闘争ではなく闘争共認に基づく同類闘争になると、体格が劣るメスは全く戦力にならない存在となり、存在理由を失って終います。その結果、メスは極度に依存性を強め、首雄に強く依存収束する(強固な依存収束回路を形成する)ことになります。他方、同類闘争(縄張り闘争)を闘うオスたちの不全感→揚棄欠乏は大きく、とりわけ性闘争・序列闘争の覇者たる首雄の雌雄充足期待(その中心が性的期待)は極めて大きいものがあります(補:本能的には、オスは性闘争に勝つ為に生きているのだと云っても、良いぐらいです)。
そこで、依存収束したメスたちは、首雄の強い雌雄充足期待(その中心を成す性的期待)に応合すべく、自らの全存在理由をかけて性機能(挑発機能や発情機能)を発達させてゆきました。高度に進化した雌ザルの赤く充血した性器や、年中発情(本能的な発情期の消失)は、その様な雌たちの一念が生み出した肉体改造の結晶なのです(それは、現代の女が化粧やダイエットにかける執念に勝るとも劣らないほど、凄まじいものだったと考えられます)。
かくして、原猿時代の雌雄充足共認(雄は期待形、雌は応合形)を土台として、「雄は闘争と庇護、雌は生殖と充足(性や親和)」という雌雄役割共認が確立されてゆきます。そして、役割欠損を孕んだメスは、首雄の充足期待に応える充足役割(その中心が性的期待に応える性的役割)に収束し、これを第一義的な存在理由とする性的存在となっていったのです。(注:3000万年を経て、これらの「機能」や「役割」はDNAに刻印されていると考えて、間違いないでしょう。)(補:メスの性的存在化は、雌雄役割規範が確立されていない初期は、役割欠損→役割欠乏が原点になりますが、役割規範が確立されて以降は、役割規範そのものへの応合が原点になります。)
この様なメスの性的存在化が、生物を貫く雌雄の差別化の拡大という進化ベクトルに合致した、一つの実現形であることは、言うまでもありません。しかしその結果、メスは首雄や子供を対象とする生殖集団への収束力は強いのですが、外圧を対象とする闘争集団への収束力は極めて弱いという、全的な集団にとっては極めて厄介な問題を孕むことになります。もちろん、メスの性収束は哺乳類の内雌外雄の摂理に基づいており、その摂理を踏み外さない限り、全的な集団として何ら矛盾は生じません。
|
|