「超国家・超市場論28 新しい可能性が顕在化するとは、どういうことか?」
上記表題の通り、新しい可能性が顕在化するとはどういうものかを考えた。
私権の強制圧力が衰弱した以降の皆の意識は、必要か否かの判断の土俵や、認識形成の場の必要性が、誰もに半顕在化されている。この半顕在化された皆の認識こそが社会を変えていける可能性だと思う。
>顕在世界は古い私権の現実で覆い尽くされ、しかもその私権の現実はとことん制度化され、体制化(≒専任分担化)されている。
この状況から脱却するには、半顕在化の意識をいよいよ顕在化させる必要があり、その為には、人々が結集し、現実の場の結実と、その場を秩序化=体制化する必要がある。
>潜在的な新しい可能性が顕在化して新しい現実と成るためには、古い殻を内側からこじ開け、私権の現実の中を突き抜けてゆく必要がある。
そして、既に顕在化された、古い指標・制度化された私権社会という現実のなかで、新しい社会統合機構(統合サイト)が評価を獲得していくことこそが、現実の真っ只中である内部から私権世界を解体し再統合していくことだと理解できた。
これまで不成功に終わった社会運動や、今も見られる集り、人収束というものは、根本が私権社会の現実の中では無い所にある為に、新しい現実を結実できなかったのだといえる。求心力もなく実は本当の収束先ではなかった。
現実の真っ只中から私権世界を解体し再統合していくこの過程こそが、潜在思念の本源収束であり、新しい可能性が顕在化することなのだと感じた。 |
|