■神社による統合体制改革を進めた桓武天皇
現代にまで至る『万世一系』概念を確立したのが桓武天皇であったといわれる。
桓武天皇は即位にあたって、祟る神の権威でも、客観的な天の評価でもなく、上帝となった光仁から桓武への継承こそが天皇の正当性の根拠であると宣言した。
また、母方から渡来系氏族の血を引く桓武は、(持統天皇により重用されて以降)当時渡来系氏族の頂点にいた百済王氏(くだらのこにきし)を重視するとともに、母方の高野氏の本系である秦氏を秦の始皇帝と結びつけることにより、秦の始皇帝の子孫が百済王を配下にして日本に君臨する、という国際的な帝王イメージを確立する。
しかし一方では、王権にともなう母系性を否定し、天智系の父系血統を重視しつつ、血族的に新しい「皇族」を作り出そうとした。(自分の娘と特定の皇子を結婚させることで、父母双系とも桓武系に連なる新しい王系を作り出そうとした)
■「都の神」を作り出した桓武天皇
この桓武天皇により、神社の位置づけも大きく見直された。
既に「都」を守る神社であり、国家祭祀の頂点にもあった伊勢神宮では、神話上のアマテラスの父母にあたるイザナギ・イザナミが公的に祀られるようになった(それまでは、アマテラスのみで、その両親は公的には祀られていなかった)。別格の神として崇敬されていた伊勢大神の神格を記紀神話の神の系譜の中に明確に位置づけ、律令国家の中でのポジションを明確にするという試みの始まりであった。
伊勢神宮以外の祭祀も平安朝に入り大きく変容していく。平安遷都に伴い配置された都市型神社が国家保護の下、発展を遂げる。松尾神社、園韓神社、平野神社は、それぞれ渡来系神社であるが、渡来系氏族を重用した桓武天皇により特別な位置を与えられ、独自に展開していく。(松尾神社→秦氏、園韓神社→朝鮮半島系王権祭祀、平野神社→桓武天皇の母・高野氏) これらの神社は都を守る神社として、平安京周辺で発展していった。「都の神」の誕生である。
この神社の展開・発展に伴い、全ての神社は王権の前では「平等」という建前が、形骸化し始める。全国の主要神社に官位を与えるという神階制の導入である。 |
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