23歳の時に正式に離婚が成立した両親は、以前から不仲であった。
地方出身者である父は、自らが少年時代は、故郷で豚の餌を運搬
する肉体労働に就き、風呂などは人様の家の残り湯にあやかるという
生活だったらしい。(子供の頃、そんな話をされた事があった)
父は、豊かになりたい一心で、大学を受験し、大手一流の証券会社に
就職した。その後、出世の見込みがないと見るや、中堅の証券会社に
転職し、定年後も顧問(世話役)として勤めたそうだ。
父は、私には「勉強をしろ!」とよく言った。
貧しさを克服する手段は、大学を卒業する以外にないという、彼
自身の辛い体験に基づくものが、私を相手にそう言わせたもので
あろう。
彼にしてみれば、「こんな惨めな思いをさせたくない」との想いが
あったのかもしれない。
しかし私は、大学には進学しなかった。
いや?…できなかったというべきだろう。中学生の頃から、
勉強で他人を蹴落とす競争が始まるが、精神的に辛かったのだ。
成績を上げる目的の真意さえ、恐らく理解していなかったに
違いない。
そんな私は、大学を卒業していないという理由だけで、随分と
社会にも自分自身にも、痛めつけられてきた。
理不尽な処遇に、随分と世の中の身びいきを垣間見た観がある。
これからの大学はどうなるか?…
苦学をしてでも、本当に大切な事を学ぶ価値がある機関として
大学が存続するのであれば、そういったものを残していく為に、
尽力できる何かを探したい。
また、進学の真意を、そこまで見極めた人が、敢えて学問の道を
目指すのであれば、それは進学すべきであろう。
多分、私の父同様に親と言われる人たちは、自分の子供の行く末を
案じているのだろう。私権獲得が勉強の目的でなくなったにせよ、
我が子の将来を案じるという意味においては、親の気持ちは同じ
であると想われる。
余談になるが、父はようやく証券業界から足を洗い、現在は故郷に
家を買い、再婚した女性と一緒に暮らしているそうだ。
父の故郷は、小豆島である…。 |
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