前回は、古墳時代の武器の変遷についての紹介でしたが、「古墳時代に戦争があったのか?」を検証する上で、古墳時代の前の時代である弥生時代の戦いの様子や古墳時代に連なるその推移を抑えておく必要があると思います。
今回は、縄文晩期末から古墳時代入るまでの間の、弥生時代に発掘された武器を、時間軸毎に紹介していきたいと思います。
引用・抜粋させていただいた書籍は、前回同様に「日本列島の戦争と初期国家形成」松本武彦著からです。
著書では、弥生時代を大きく早期、前期、中期、後期、末期の5段階に分けて整理しています。
以下引用・抜粋です。
■弥生時代早期〜前期前半(紀元前10〜6世紀?頃)
弥生早期(縄文晩期末)に朝鮮半島から伝わった水稲農耕文化複合の第一波といわれる渡来要素の一つとして、有柄式磨製石剣・有茎式磨製石鏃という武器の組み合わせが北部九州を中心とした列島中央部西半に現れる。(日本列島最初の武器)
有柄式磨製石剣は無文字土器時代前期の朝鮮半島で成立した武器で弥生早期に日本列島にもたらされ前期まで継続する。非実用的方向への変化と墳墓副葬のほか単独出土の例が多い点から、儀器的色彩が強い武器と推測されている。有茎式磨製石鏃も同じく無文字土器時代前期の朝鮮半島で生み出された。形態が精美なことや墳墓の副葬品が多い事から、儀器的色彩が強い武器と推測されている。しかし、新町遺跡(福岡県前原市)の人骨嵌入例より、実用品を含んでいた事が判明している。
前期前半になると、上記の武器が北部九州玄界灘沿岸から各地へ伝播・拡散するとともに、形態の変容が進み、実用的でないものが表れる。有柄式磨製石剣は形態の変容が進み実用的でないものが表れ、分布は、前期前半までには北部九州の周縁域に、中葉頃までには中・東・南九州から四国まで拡大する。有茎式磨製石鏃も同じように形態を変容させつつ分布を拡大させ、分布も九州外へ及び、単発的ながら瀬戸内及び山陰から近畿に拡がる。
以上より、武器様式は、有柄式磨製石剣と有茎式磨製石鏃及びそれを付けた弓矢という単純な組成で、衝撃武器(短兵のみ)+投射武器となる。弓矢で射掛け短剣で格闘戦を行なうという戦術が想定できよう。
また、これらの武器が普通に出るのは北部九州玄界灘沿岸付近に限られ、その他の九州各地や中国・四国・近畿ないし北陸・東海では極めて希薄となり、普遍的な武器というよりは、特別な道具として扱われていた可能性が高く、これらの地域では朝鮮半島渡来の戦術の情報が断片的に伝わりつつも、少なくともそれを駆使した戦闘は常態化していなかった可能性が高い。 |
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