日本人と縄文体質
194523 古墳に副葬された武器の変遷2
 
yuyu 08/12/10 PM05 【印刷用へ
 
■後期(9〜12期)

○9期(5世紀後葉)

武器様式は8期に確立された様式の発展系だが、矛を中心として新型ヤリを加えた長兵の比重が再び増す。馬具・挂甲の普及が本格化し初めることを考慮すると、長兵の増加は、騎馬を用いた戦術への移行に対応する可能性がある。


○10期(6世紀前葉〜中葉)

鐘形・花形の鏡板・杏葉など、装飾性の高い馬具の種類が充実する。
主な埋葬施設が九州以外でも横穴式石室に転換するのに伴い、刀剣や甲冑の儀礼的埋納は姿を潜め、副葬武器は被葬者の個人的兵装の色彩が強くなる。

武器様式は、挂甲・長刀及び矛をもち、飾り馬具をつけた馬に騎乗する有力者の兵装が復元できる。歩兵の武装である単甲が急減することは、重装歩兵を主体とする戦術思想は後退し、少なくともスタイルの上では騎兵を核とする戦術に沿った武器様式が定着しつつあった。


○11期(6世紀後葉)

群集墳と呼ばれるような小型規模古墳がこの時期に急増する。
挂甲の増加は、東日本で著しく、小規模な古墳や横穴から出る場合もある。

馬具の量は増加し、群集墳中の盟主的な位置を占める中位クラスの人々にまで、馬具の装備が普及した。この時期普及する馬具の多くは、簡素で実用性の高い型式で、これら中位クラスを主兵力とした戦場での一定程度の馬の使用が想定される。これに対し、前方後円墳などから出る高位有力者の馬具は装飾的な傾向が強い美麗な品で、戦場での実用品というよりは、そこも含めた様々な場で威儀や身分を表示する役割が顕著であったとみられる。

武器様式は、実用的馬具の普及、射程距離の増大を示唆する鏃の軽量化など、騎馬を用いた戦術への適応を想定できる。一方、装飾的馬具と実用的馬具、装飾大刀と通常の長刀などの階層的格差が、それを副葬する古墳の規模と比例する形で顕在化する。武器内容に階層的な格差が顕著に表示されるのがこの段階での大きな特色。


○12期(6世紀末〜7世紀前半)

武器や武具の副葬例が減少する。高位有力者の装飾性の高い馬具に比べ、中位クラスの実用的な馬具が急増し、特に中部、東海、関東などの東国に顕著な分布域を完成させる。
頭椎大刀の分布と関連させ、東国舎人騎兵の成立と結びつける見解もある。

武器様式は、構成や階層性の点でも、前段階の傾向を引き継ぎながらも、鏃や挂甲の形態が改良され、律令期段階の武器の技術的原型がほぼ確立されたことが特色。



■前期、中期、後期の3大区分を、朝鮮半島との関連性という視点でのまとめ

○前期(1〜4期)

前期前半から後半への副葬武器様式の変化は、中国起原・威儀具的なものから、朝鮮半島由来・実用的なものへの転換として図式化できる。

弥生時代後期以来の列島武器様式の斉一化傾向が、古墳への副葬という行為の共有を媒介として、されに進展。日本列島では武器が宝器的・儀仗具的色彩を帯びるのに対し、朝鮮半島はこの傾向が薄い。後半、実用的武器の副葬や埋葬が増えるが、朝鮮半島との交流密接化のなかで、盛んになっていった可能性が考えられる。


○中期(5〜8期)
鉄製甲冑の普及により武器様式の階層性が一時後退する。
朝鮮半島との対比で見ると、機能に直結した技術的要素での相同性と、よりシンボリックな意匠的要素での相違性という二つの相反する方向性を両軸とした複雑な結びつきを析出できる。日本列島と朝鮮半島南部の間の武器の相同性は中期後葉の8期に最も強くなる。
両地域の有力者間に、軍事的な対立と連携の両者を含む複雑かつ活発な動きがこの時期に生じていると想定できる。


○後期(9〜12期)

馬具が普及し騎兵を交えた戦闘を可能とする武器様式の移行に伴い、高位層の威儀や身分を表示する軍装としての性格が明確化する。中央〜地域という、中央を核とした一元的な武装内容の画一性が緩まる。独自型式の矛や列島産馬具の量産によって、朝鮮半島との武器様式の相同性は低下するように見える。

以上、引用・抜粋
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■今後の課題

武器の多くが古墳からの副葬品として発見されることより、古墳時代に大きな戦争が行なわれた可能性は低いとも言えそうだが、装飾的な武器ばかりでなく、時代により実用的な武器も副葬されていることや、武器様式の変化(進化)を読み取る事も可能なため、まったく無かったとも言いがたい様にも感じる。

ただし一方で、「前方後円墳が出自の異なる古代部族の和合・合体の証し」193130 だとすると、部族間の和合・合体を進めていた日本では、渡来時に朝鮮半島から武器やその様式が持ち込まれたが、それを使用する必要性も低いので、古墳に一緒に副葬された可能性が高いと推測できなくもない。

上記を検証する上で、

1.そもそも副葬品として武器を副葬する意味は?
 ・副葬の状態から何が読み取れるか?
 ・副葬武器の様式や量など、時代毎の地域的な差はどの程度なのか?

2.実際に武器が使われた後はあるのか?
 ・使用された武器は副葬されているのか?
 ・副葬品以外の武器の発見はどの程度か?

3.武器の使用以外に戦争が行なわれた証拠となるものは、どの程度あるか? (環濠集落、負傷者の埋葬等?)

等をもう少し詳しく調べていく必要がありそうです。
 
 
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