古墳時代に、戦争はあったのか? その痕跡を調べる上で、今回は、その多くが古墳の副葬品として埋葬されている、副葬品として発見された武器を中心に、各時代ごとのその変遷を紹介してみたいと思います。
参考、引用にさせていただいた書籍は、「日本列島の戦争と初期国家形成」松本武彦著です。
上記書籍では、古墳時代の武器の変遷過程を押さえる上で、時間軸としての区分を、小区分として12段階に区分し、それを歴史的評価とつながる前期、中期、後期の3大区分にて考えています。
まずは、各期段階毎のトピックの抜粋、要約の紹介です。
■前期(1〜4期)
○1期(3世紀中葉)
定型化した前方後円墳丘の出現、長大な木管と竪穴式石室の確立、三角縁神獣鏡を主体とする中国鏡群の副葬開始で画期づけられる段階。
武装としては、弥生時代後期以来の衝撃武器(短兵)+投射武器という形に、長兵の衝撃武器であるヤリが加わり始めた構成が基本であると考えられる。
高位有力者の埋葬品には中国系譜の舶載品として倭に持ち込まれた可能性の高い武器が出現しており、高位有力者の身を飾る威儀具的性格のものと想定できる。
鏃に宝器的な色彩を強める方向で発達し副葬されたものが顕在化する。
朝鮮半島の鏃の大部分が実践的機能を強める方向で発達したのと対照的。
葬送儀礼における有力者の武器発現の形が、宝飾的ないし儀仗具的な武器によるシンボリックな方向をとり始めたことが特徴といえる。
○2期(3世紀後葉)
埴輪の様式や、碧玉製品、鏡などの列島固有の威信財的器物が近畿中央部を中心として創出され始める。
武器様式は1期と大きく変わらず、投射武器の弓矢が加わる構成が基本。
青銅製のより規格的な有稜系鏃に代表される、列島独自のシンボリックな武器が、鏡や碧玉製品とともに威信財的な色彩を帯びた器物としてますます顕在化し、朝鮮半島の武器との対比において、列島の独自性がより鮮やかになる。
○3期(4世紀前葉)
倣製の三角縁神獣鏡の制作が開始されるなど、列島内部の威信財的な器物の構成に大きな変化が生じる時期。硬化・粗製化・画一化・大量化というパターンが顕現する。
武器様式は基本構成は2期とは大きく変わらないが、上位の有力者を中心に、鉄製単甲の着用が始まる。青銅製と碧玉製の有稜系鏃が盛行を極める一方で、鉄製の実用的武装の充実が副葬儀礼に反映され始める。
○4期(4世紀中葉)
碧玉、メノウ、水晶といった各種材料の勾玉と滑石製品の出現をおもな指標とする。
碧玉製有稜系鏃等の飾り矢の衰退とともに、実用的な細根系の鉄鏃が副葬品の比重を増すという前段階以来の傾向が続く。
武器様式は前の時期から大きな変化はないが、集団の実用的武装が副葬行為として色濃く反映されるという前期からの趨勢の延長上に位置づけられ、宝飾系武器の衰退で実用的武器の副葬行為がますます明白となった。
■中期(5〜8期)
○5期(4世紀後葉)
長方板皮綴単甲、三角板革綴短甲という新型式の短甲2型式の出現を持って、5期の開始とする。この段階から武器を豊富に副葬する事例が急増する。
鏃の変化も大きく、青銅製の有稜系鏃は一部に残るのみで、ほぼ完全に朝鮮半島の鉄鏃を祖型とする細根系鉄鏃を主体とする埋葬が現れる。
武器様式は衝撃武器の主体が長刀・長剣という長い刀剣類になり、長兵の主流もやりから矛へと変わり始めるという構成上の大きな変化が見られる。鉄やじりも、より厚手・強靭で貫通力の優れたものに刷新される。武器様式の変化には朝鮮半島南部の影響が極めて大きいと予想される。
○6期(4世紀末〜5世紀初頭)
三角縁神獣鏡や倣製の大型鏡、碧玉製品など威信財的器物が、ごく少数の例外を除いてほぼ途絶する。
武器様式は5期に現れたあたらしい様式の発展期と位置づけられ、衝撃武器の主流は、完全に長刀・長剣となり、長兵は矛が中心的な位置を占める。また、かろうじて細々と残っていた有稜系の銅鏃はこの時期を最後に完全に消滅し、矢尻は鉄鏃のみとなる。
○7期(5世紀前葉)
定型化した最初の須恵器であるTK73型式の段階あたる。初期の馬具が登場する。
武器様式は、衝撃武器の主体が短兵の長刀に一元化される傾向がみられる。鉄鏃は機能的な発展よりも新たなシンボリズムに基づく意匠の発達が見られる。甲冑は朝鮮半島から伝播した鋲止技法や挂甲等、新たな技法、スタイルのものが登場する。また馬具の出現とあいまって武器の階層差が顕在化し始めた可能性がある。
○8期(5世紀中葉)
鉄鏃である長頸鏃の確立によって画期づけられる時期。これ以降、中近世に至るまで日本列島の実用鉄鏃の基本形となっていく。
個人使用を超えた多数の甲冑が副葬・埋葬され、甲冑の生産がピークを迎え、相当に一般的な戦士の階層にまで鉄製甲冑が行き渡った状況が伺える。
武器様式は7期の構成と変わらず、機能的な面で武器様式の発達が進んだ。
(続く)
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